透明なるエネルギーで引き寄せあって | 恩寵と共にある

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覚醒や目覚め、恩寵について分かち合う場としていきたいです。

 

昨日は友人のAさんと会って数時間話していた。それほど長く話しをするつもりは最初はなかったのだが、気がつけば5~6時間話していた。

 

 

Aさんは本格的なスピリチュアルの探求を長年続けていて、また哲学的なことや社会問題にも造詣が深いという、スピリチュアル畑では珍しい人である。もうかれこれ20年ほどのつきあいになるだろうか?そこまで関係性が継続している人はほとんどいない。

 

 

Aさんは体調を崩されていたので、会うまでは具合がどうか心配だったが、思ったよりも元気そうで安心した。

 

 

話し始めて数分してから、強いが透明なエネルギーがどんどん降り注がれてきた。かつては強いエネルギーを感じると、粗雑であることが多かったが、Aさんと共鳴しているものは、強烈だが繊細で透明なものだった。

 

 

まるで頭頂に穴が開いて、そこから透明なエネルギーが無尽蔵に注ぎ込まれるようだった。仕事明けで眠いところにそれだけのエネルギーが注がれてくるから、意識を保つのも大変だった。

 

 

それは私だけが感じているのではなく、Aさんも同様に透明なるものを感じ取っていた。お互いに瞑想やスピリチュアルワークをしたわけでもなく、ただ対面して話しているだけで、繊細で透明なエネルギーが共鳴し合っていた。それはまさに恩寵としか言いようがない。

 

 

透明なるものを感じる人はいるにはいるが少ないという話しになり、お互いに知り合いで透明なるエネルギーを感じる人の写真を見せあったら、写真でも透明なるものが伝わった。直接会わなくてもわかる人にはわかる。

 

 

数は少ないが、透明なるエネルギーを醸し出している人は存在しており、そういう人と繋がりが持てることはとても嬉しいことだとAさんは言っておられたが、それには100%同意する。

 

 

透明なエネルギーを醸し出している人は、意識もクリアである。エネルギーが強くても濁っている人が多く、クリアで透明でなおかつ強い人は少ない。ほとんどの人は何かを抱え込んでおり、それが濁りとなって現れる。

 

 

Aさんと話していて、食事中は注がれるエネルギーが少し弱まったが、それ以外の時はずっと注がれていた。ここまで共鳴する人はほとんどいない。長年の付き合いでお互いに信頼もできているし、長年の探求の成果が互いに響き合うのだろう。

 

 

帰りの電車では、ただ座っているだけで何もすることもできず、思考も働かなかった。眠気と恩寵とで余分な思考も止まってしまった。帰宅してからは入浴して食事をして、それからすぐに寝てしまい、久々に10時間ほど寝てしまった。

 

 

朝は比較的早く起きて、しばらく寛いでからこれを書いているが、意識はスッキリとしてクリアだ。透明なるものが浸透してきているようである。

 

 

透明なエネルギーが注がれることで、濁りが浄化され一旦現象化してきつい面もあるが、それによってより透明にクリアになっていっているのは疑いない。