いずれは超えること | 恩寵と共にある

恩寵と共にある

覚醒や目覚め、恩寵について分かち合う場としていきたいです。

スピリチュアルなことを学んだり実践したりして、何らかの体験や意識や現実の変化があり、それはいいことだが、それによって指導者を盲信し、必要以上に崇め奉る人がいる。



指導者を尊重することはいいが、崇め奉ることはやり過ぎだ。
確かに伝統的なもので、師匠と弟子の絶対的な関係性を強調するものもある。



弟子が師匠を絶対的に信頼し、それによって意識の変化、霊性の向上が起こることはある。
それで終わればいいのだが、師匠と弟子が相互依存の関係に陥ることもある。


こうなってしまうと、意識や霊性の向上は止まり、下手するとそこから落下していく。そうなるとそこから脱却するのは容易ではない。


私自身、かつては指導者を盲信していた時期があった。だから崇め奉る人の気持ちはわからなくもない。


だが私が盲信をして、指導者を崇め奉っていた時は、一時的に意識や霊性の向上が進んでいるような気がしたが、途中で頭打ちになり、終いにはにっちもさっちもいかなくなってしまった。


本来のスピリチュアルは魂を解放していくが、盲信していると、魂が解放されるどころか束縛されていく。


まあ人を崇め奉ることが必要な段階の人もいるけら、一概に悪いとも言えないが、そこもいずれは通過していく必要がある。そこで留まっていては勿体無い。