進化していくには | 恩寵と共にある

恩寵と共にある

覚醒や目覚め、恩寵について分かち合う場としていきたいです。

先日スカイプを通じて、数名の方々と対話をする機会がありまして、色々な話を聞けたり、自分も発言をしたりして楽しかったのですが、私の発言内容が良かったという方もいたので、その内容を少しまとめてみました。


全体的に個も社会も退行していると思うんですよ。そして絶望という話がでていましたけれど、絶望にみんな向き合えないのかなとそんな風に見えるんですね。


ほとんどの人がそこまでの体力、精神力がない。そこを鍛える
というか、瞑想というのはそのための一つの手段なんですけど、そういうことがもっと一般的になればいいんですが、現状はなかなか難しいですね。


でも私はそういう方面からのアプローチがある
し、セラピストの人たちはセラピーからのアプローチがあるだろうし、もっと総合的に取り組んでいかないとこれからの時代はなかなか厳しいかなと。


今まではみんなそれぞれバラバラだったんですね
。ウィルバーの意識のスペクトル理論では、この分野に関してはこれが適していると。
例えば神経症だったらこれ、人格障害にはこれ、トランスパーソナルだったらこれが適している、というように。
それが今までは
分断されていたから、もうそろそろ今までのものが統合されて、総合的に見ていかないと個や社会の問題に対して、対処しきれないのではないかと思うんですね。


逆に言うとそこに希望を見いだしているとも言えます。それはこういった対話などからそういう動きが
出てこないかなと思っていて、私も微力ながらそういうことに取り組んでいきたいです。


釈迦の時代なら今と比較して、マインドも全然複雑ではなかったでしょうから、ヴィパッサナーといって観察する瞑想だけでいけたと。ところが現代ではあまりにもマインドがぐちゃぐちゃになっているから、それだけではもはやどうしょうもないんですよね。


ところが瞑想をしている人たちは、セラピーやヒーリングの必要性を感じている人は非常に少ない。でもそんなことを
言ってる場合ではないだろうなと。
裏を返せばそれだけしっちゃかめっちゃかになっているマインドが転じたら、非常に素晴らしい目覚め、覚醒が起こる可能性があるかとも思えて、そこに賭け
ているところもあります。


今は霊性と人間性が乖離している人が多いです。スピリチュアルでも悟ったと言っている人が増えていますが、たぶんそう言っている人の多くが乖離しているのではないかと。
私は霊性ばかりに目を向けて地に足がついていなかったんですが、その時は一種異様な人格が形成されていました。そのように霊性がいびつな伸び方をしてしまい、そういう人は感情が未熟になってしまいます


私は霊性と人格のバランスを取ることが大事だと、この数年でようやく気づくことができ、取り組み始めたところです。
近頃は色々な人から人間らしくなってきたね、と言われるんですが、それまではどれだけ歪んでいたのかということに気づかされまして、それを埋め合わせるのは色々な文化に触れたり、多くの人と接することや、実際に社会に出て働くことでできてきました。
以前は
狭い世界の中で生きていたのが、見聞を広げることが役にたちましたね。


このときのテーマが

「ウィルバーのいう世界のフラット化現象。果たして

世界は進化するのか?それとも幼児退行するのか?」


というものでしたが、問題提起や今後どうしていけばいいか、一つの提案ができたので、自分としても良かったと思います。


語りだすと色々と出てくるので、いずれもっとじっくりとこのようなテーマ、あるいは別のテーマでも語ることができればと思いました。
私は文章を書くのも好きですが、それよりも語ることが向いていると確信を持ったので、遠からずうちにそういった機会を設けたいと思っています。