曾祖母に残った言葉は「とうとう」だけだった | 大人のおんがく室♪from 東京

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8月15日

戦争で亡くなった方々に

手を合わせる追悼式が

全国各地で行われる日です。

 

 こんにちは

 たけいし くみこです

 

この記事は「曾祖母の悲しみを忘れない」という思いから、過去ブログを加筆訂正したものです。


私の祖母は愛知県の幡豆出身

 

子だくさんの中の

末っ子だったと聞いています。

 

祖母の自慢は

美しく穏やかで豊かな幡豆の海

 

こどもの頃の私は

毎年のように幡豆を訪れ、

 

その豊かな海で

海水浴や潮干狩りを楽しみました。

 

幡豆近くの宮崎海岸:こどもの頃はこんなに立派な海水浴場じゃなくて、自由に山ほどアサリが採れた記憶があります。

 

漁業関係者が多い海辺の地

「大東亜戦争では、この辺りの人はみんな海軍だったんだよ。」

 

私が祖母から

直接聞いた当時の話はこれだけです。

 

兄たちを次々と

戦争で亡くした祖母にとって、

それ以上は口にしたくない

辛い思い出だったのでしょう。

 

ここから先は

私の母から聞いた話です。

 

 

逃れようのなかった太平洋戦争

 

平和で豊かに暮らしていた

祖母の兄たちは

 

赤紙一枚で行き先も知らせず

(軍の機密保持のため)

遠い海に出て行った。

 

そして

そのうちの3人が戦死した。

 

幼かった私に

強い印象を残した母の話…

 

おじさんたちがね、一人戦死し、二人戦死し、三人目の戦死の知らせが入った時にね、

 

おばあちゃん(曾祖母)は「とーとー、とーとー」って言ったのよ。それから「とーとー」しか言わなくなっちゃって、そのまま亡くなったの。

 

おばあちゃんは何を言いたかったんだろうね。

 

蟠龍寺(目黒区)本堂の阿弥陀如来さま

 

「とーとー」ではなくて

「とうとう」ではなかったか…?

 

 

十月十日の間

大切にお腹の中で育み

 

命をかけて生み

いつくしみを込めて育てた我が子

 

それなのに

どこに行って

どんな目に遭って

どんな死に方をしたのか

すらわからない…

 

もちろん

お骨が戻ってくるわけはなく

 

送られてきた骨壺を開くと

そこには、名前が書かれた

紙切れ一枚が入っていたという。

 

そういう時代だから…?!

 

長崎のカトリック城山教会

 

私自身は

顔も知らない曾祖母ですが、

 

「とうとう」という4文字の言葉は、深い絶望のかたまりである気がしてなりません。

 

 

この理不尽を

飲み込まざるを得なかった母親が

一体どれだけいたのでしょう!

 

 

東京では、今日8月15日

 

午前11時51分から

日本武道館で全国戦没者追悼式が

行われています。

 

遺族参列者数は年々少なくなり、

今年は3,595名(うち付添380名)

だそうです。

 

先人たちが全力で守ろうとし、

私たちに託してくれた命と平和を

繋いでいかなければならない。

 

そう思います。

 

 

 

最後までお読み下さいまして、ありがとうございました。

 

 

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