花菜園里山便り
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ぼ〜と過ぎてる春


桜が咲いたと花便りが届いて
春が駆け足でやってくる
野草も咲いてきて里山も賑やか
春はもっとゆっくりでいいのに
のんびりゆっくりな春を楽しみたいのに
何だかソワソワとせわしいな〜

わたしもそろそろ目覚めないと
春の仕事が始まる
健康のため
体力維持
筋力維持
気力維持
若さ維持
体力年齢も精神年齢も50歳維持で

仕事はエクササイズと思って
そう思えば重労働も楽しめる

頑張りすぎないで
頑張るぞ~!


高齢者運転免許もゴールドで3年更新できました 

高校卒業時に免許取得して運転歴56年目も無事故無違反で次の更新を目指しましょう



関係ないけど
美味しいラーメンを求めて
求めるのは白河ラーメン手打ち麺
美味しいと評判のお店へお一人様で行きます

宇都宮近郊の新幹線架橋近く
手打ちラーメンみうら 初訪問
チャーシュー麺
満足 再訪確定
うん満足



そして那須塩原市 行きつけの店
白河ラーメンときわ
うん満足 











花びらは傷ついても紅く咲く 



ここ数日暖かな日が続き
藪椿が一斉に花を咲かせてきた


冷たい強風に打たれて揉まれて
傷ついてる花びら



それでも美しい











まだ春と冬がせめぎ合うこの時期
時々の寒波と強風に揉まれ
痛ましい花びら





けれど 花は強い 華やかに咲く
椿らしく 
傷ついた花びらも美しい






傷ついても 椿 藪椿
紅く 大きく 花を咲かせる
木に春と書く 椿
誉れ高い 椿という名


さあ 蕾たち
まだ冷たい風は吹くけれど
陽射しを浴びて 咲こうね
凛として 紅く 美しく










3.11の記憶 浪江港と父の思い出 2021年3月追記


    

  3.11.

当時の記事です 後に追記あり


あの日 家もつぶれてしまうのではないかと思うほど長い強い揺れと音の恐怖に震え掘りごたつの中に入って揺れが収まるのをじっと待った


外では ボーダーコリーのジークフリートが 地震発生の20分くらい前から激しく鳴き続けていた

勘の鋭いボーダーコリーはこれから不測の事態が起こること感じて危険を伝えようと必死に鳴きつづけたのだろう

地震予知だったのにあまりの激しい鳴き方を察することもしないで「鳴くんじゃない!」と叱ってしまった 

地震の後叱ってしまったこと謝ったけど 浅はかなわたしでした


地震が収まってすぐにテレビをつけた 幸運にも停電はなかったのです

速報で最大規模の地震だったこと 大津波の予想速報が出て

その後 悪夢のような・・・

予想を遥かに越える大津波が押し寄せるテレビの映像


何年か前に家族旅行で行った気仙沼 その市場をライブカメラが写してる

これから間もなく津波到達する海を写してる 市場に人がいる そして 津波到達 市場は呑み込まれた 青いコンテナが浮かんで2波3波で市場は見えなくなった

 

高い空から空撮の映像 広い仙台平野を津波が水を流し込むように押し寄せて 農地を民家をビニールハウスを 道路を逃げ走る車を容赦なく呑み込む津波


津波 初めて見る津波 遠景の空撮を一人リアル映像で観ていた


地震の強い揺れの恐怖にアメブロの何かメッセージ機能があり咄嗟に助けを求めた

そこにたーぼーさんから励ましメッセージ返信が入ってきて勇気をいただいたのも3.11の忘れられない思い出です



2021.3.10 追記

今朝のネットyahooニュース ハフポスト日本版 に

その時空撮をしていた当時NHK福島放送局の報道カメラマン鉾井喬さんのそれからの葛藤と苦悩の10年の想いが掲載されて読ませていただきました

まさにその空撮をテレビで見ていたのでした

 


 

地震の後 福島原発の爆発事故 その被害は際限なく広がり 地震災害を限りなく拡大させている

いまも収拾のつかない大気汚染と土地汚染は日々の生業に影響を続けている


福島原発の爆発事故当時風向きが海から内陸方向の北西の風がに吹いていて 隣接の当地にも大きな被害を被った


支援』『がんばろう』『絆』 

などとお題目では解決できない根本の被害に苦しんでいます

被災者支援は被災者の心に添う支援であるべきです

言葉と 本音と建前があふれて 被災者の気持ちや望むこととかけ離れている

そんな想いをぬぐえない

瓦礫の受け入れもみんな尻込み 仕方ない 誰も安全なところに住みたいから・・・



福島県の漁港浪江は 父との思いで深い地名です

津波と原発で壊滅の街に今は住む人もない

秋に鮭の遡上する川は 鮭を求める人で賑わうそうです


毎年 父は友人4人で浪江の港に行きました

鮭狩りが目的といいながら老人男4人の珍道中夜の宴会も旅の目的なのでしょう

「鮭狩りに行ってきたよ」 とメスを2匹 雄を2匹 必ずおみやげに持ってきます

魚の肉を食べるにはオスが美味しくて

メスはお腹の卵をイクラにして食べるためです

おかげで自家製の美味しいイクラの醤油漬けと塩イクラを作れるようになりました

とはいえわたしはイクラは作るだけで食べたことがないのです

 

  

もういまは父も亡く

浪江の街も港も あの頃ではなく

みんな消えてしまった

実際には行ったことのない土地ですが  涙で想う街です


もし 地震だけだったら 津波だけだったら 復興は出来たでしょう

でも 原発の被害は厳しい 目に見えない恐ろしい被害

あの港が 街が 思い出が 復興する日はあるのでしょうか


そしてもう一つ

浪江町や双葉町からの被災者の方たちが当町の施設に避難されている宿泊避難所に訪問させていただきました

突然の地震津波原発の放射能汚染で家も全て失った人たちが避難しています

着のみ着のままで避難した無念の辛い胸の内をお聴きするわたしも辛いけれど 話すことで聴いてもらうことで少しでも心が軽くなれるように何かお役に立ちたい

こころに寄り添いたい傾聴なのです


津波と原発を逃れての命がけの脱出で身の回りの貴重品も持ち出せない人もいました

せめて当座の現金が必要でJAに口座の確認をしてお金を下ろしたい

でも口座番号もわからない JAも混乱していて本人確認もできない

JAはATMは全国どこでも使えるけれど通帳もカードも持ち出してこない

何とか相談のためJAに乗せて行きたいと役場職員に相談を伝える

けれど現時点では却下 傾聴ボランティアの身では何もできない

役目相応の身の限界に自失


腰と膝が痛いのでベットを使いたいと要望された

今は台風や豪雨水害などの避難所での快適さと体調を考慮して立ち上がりに便利な簡易ベッドが用意されるようになりましたが 当時は膝や腰に痛みや支障のある方たちにも床置きの布団でした

避難所にはベッドは2台くらいしかなくはほんとうに特殊と認められた方限定でした

そのことも避難者の要望に添えない申し訳無さが切なかったです


避難されてきた方の声になんとかして力になりたいと当町役場職員に相談しましたが町職員も自力判断では動けない 上司も指示ができない

行政もすべてが混乱の2011年3月でした

傾聴ボランティアの無力が哀しくて2度目に行こう思う足も気持ちも止まりました




あれから10年

先日 朝日放送の番組制作担当の方から取材のオファーをいただきました

『震災当時の記憶と食事の事を想い出として取材させてほしい』と

震災当時に多くの経験と様々な想いがあります 

辛い記憶や体験は語り尽くせないほどあります


けれど わたしごときが語ることは申し訳ない

そういう理由を伝えご辞退させていただきました



各テレビ局でこれから多くの震災関連の番組が放送されると思います

消してはいけない記憶

伝えなければならない体験の記録を観せていただきたいと思います


















  

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