昨日から夜勤で、帰ったらとても走れるような体調じゃない。
1.5kgのおもりを持って腕振り2分×15。たくさん汗をかくから走るのと同じくらいの効果かなぁと思った。密室のなかでやったからかなり暑い。ごまかせたかな、と思った。
でも、たかがごまかし。シャワーをしていると熱気がすーっとひいていく。80分走った後だったら冷水を浴びても以前として熱気がこもっいるくらいなのに。体重を計っても全く減っいてないし。
どんなにごまかそうとしても、昨日のように表面上だけに過ぎない。はっきり目的があれば別だけどほとんど効果ない…。
だけど勉強をしなきゃいけない意識のなかで仕事をするのははっきり言って身心ともにしんどい。それが夜勤ならなおさらに…。
できるだけ今のうちに復習しておいた方がいい現状の中で、この生活習慣は相当疲労をきたす。

この1ヶ月は苦しいけれど、だからこそ今までよりも気を強く持たなきゃ…。
昨日の走る会。
長い距離のインターバルをやる気分じゃなかったし全く走れそうもなかったから200m×10…。設定は31~32秒だけどつなぎをゆっくりにするからほとんど流しでしかない。最近太ってしまったしそれによるストレスがあって、気分的に今の自分には流ししか選択肢がない。
だからって聞谷くんと判治さんを巻き込んでしまった…。申し訳ないないなぁと思いながら…。
2人のおかげで設定通りに走れた。かなり厳しい状態の中で、たとえ流しでも自分が決めたタイムで走れたのは少しでも励みになるかな。
そのあとのダウン(歩き!?)で話をした。シューズや専門店などの話を聞いていて、同じ19歳なのにどうしてこんなにも違うんだろう…。聞谷くんは知識を持ってる。そして『自分』をはっきり持ってる。
練習と試合で履くシューズをはっきり決めていたり、今年はじっくりいく、って全く試合に出ようとしない。『自分』という太い幹があるから、自分を見失わないから何事にも流されない。
そういえば練習で同い年の長距離選手と走ったのは卒業してからは聞谷くんがはじめてだな。
すごく尊敬するし、同い年だからこそ感じる刺激がある。自分なんてまだまだ、何事においてもまだまだ。昨日、はっきりそう思った。
そんな同年の先輩は素人同然のこんな自分にいろいろなことを教えてくれるし、励ましてくれる。本当によく気にかけてくれる。
全くの同世代の男の子に励ましてもらったの、久しぶりだな。
自分は何をやってるんだ?
自分はこれでいいのか?

-いいわけない。ただ走るのが好きなだけじゃダメなんだよ。

『自分』を持ちたい。
『自分らしさ』ってなんだろう。

まだまだわからない。


でもそう答えが出ないながらも自問自答できるのは新たな出会いのたまもののひとつ。
本当にありがとう。

滑り止めの私立大学から案内がきた。
楽しそうでいいなぁ。
自分は歴史が好きだから、日本史が学べるところへ行けたらいいな。
根っからの勉強嫌いだけど、日本の歴史はなぜか小さいときから好きだったようで、小5(小6?)で歴史の授業が始まったけど毎時間、毎時間ものすごく楽しみだった。
実際授業は楽しくて、新しく知識が入ってるくることが『快感』だった。なんだかわくわくする。
中学生の日本史の授業はもう教科書レベルでは物足りなくて、もっともっと高いレベルをやりたいって思ったけど、どっちみち高校を出たら就職するし…そんな考えがあったから追究しようは思わなかった。
高校はかなり授業が本格的になって、新しく知ることもたくさんあって、テストでも高得点がとれたし、やっぱり楽しかった。
授業でも授業じゃなくて、自分にとって趣味の時間だった。みんな覚えるのが苦だって言うけど、自分はそれが楽しいんだなって思った。
授業では教えてくれないことも、もっともっと知りたいなって思った。だから好きな戦国時代や幕末の本をたくさん買ったし気になることはWikipediaも使って調べて、ムダ知識を収集した。でもそれも趣味程度。どうせ就職するんだし、走ることと同じ考えだった。
でも今は、そのどちらも一生懸命やりたい。大学も、歴史を学べる学科に入りたい。日本史の専門用語や、偉人、戦国の名将、無人島、長く歴史を見てきた『モノ』、ルーツを辿ったり、それぞれの時代の様々な人や大きなことをした人の気持ちや考えを推測したりする、自分はそれが楽しい。というかドキドキする。これが恋?夢?
走ることも同じでまだ漠然としているけど、何かを知ろうとすることが『負担』でなくて『欲』であり極めたいものだと思える、そういうものがあるのならそれも突き詰めて取り組んでいきたい。
日本がたどってきた歴史を知り尽くしたい。歴史を知ることは決して『ムダ知識』じゃないと思う。故事を知ることで現代に生かせることはまだまだたくさん眠っているはず。
いつか遺跡、無人島、城、神社、寺を巡り、
歴史的価値のあるものを間近に見たい。ひとつひとつの神秘、ヒストリア、それは美しくて素晴らしい。
自分の中で歴史が『雑学』から『人生の教科書』になる時、きっと『人生らしさ』が生まれる。

歴史は、ひとつじゃない。だいたいは時代の勝者が都合のいいように作るものだし100%通説で通っていても、もしかしたら新しい発見で覆るかもしれない。歴史に『タラレバ』はタブーだと言うけど自分はよく「もしあの時ああだったら」と仮定をする。その仮定からその先を推測して何本かの道に分かれる。そしてそこからも枝分かれになっていく。もしかしたらその枝分かれの一本が本当の歴史なのかもしれない。でも、本当の歴史を知るにはタイムマシンで過去に戻って実際に見てくるか、太陽や月が直接教えてくれるのを期待するしかない。・・・真実なんて誰にもわからないし、知ることもできない。だから、いい。歴史はそういうものだからこそ、人の心を動かす。
歴史と走ることを通して、きっと何か感じられるもものがあると思う。そういう職に就く就かないじゃなくて、知識欲が尽きない限り歴史が生きがいのひとつになれば嬉しい。
何かに恋をする。人でなくて『モノ』になら、それがいくつかあってもいいと思う。

でも、だからといって受験勉強は日本史だけにならないようにしなきゃ。