正しい人は息子にまで祝福が受け継がれます。詩篇112:2(リビングバイブル)

その人自身が正しく歩んでいるかどうかを知るためには、子どもを見るのが一番。

子どもには親の反映がうつっている。

自分を教える事に気をつけて、正しく歩み、子どもにたくさんの祝福を与える者でありたい。

また正しい人はなにをしてもうまくいく。

何をしていけばいいのか?

神さまを信じて、従う人は、口で言い表せないほどの祝福を受けます。(1節)

私は、神さまの言うとおりにしていきたい。

どんなことであったとしても。

全てにおいて従いたい。

自分の力ではできないこと。

祈りによって可能になる。

主よ私を聖霊で満たし、喜びで満たし、正しい者としてください。

偽りから遠ざけて、まっすぐに真理だけを握っている者でありたいです。

イエスの御名で祈ります。

amen。
お前たちの神であるわたしが聖なる者だから、おまえたちも聖なる者となりなさい。
おまえたちは、ほかの国民とは違う。
特別に選び出してわたしの国民としたからだ。
レビ20:26(リビングバイブル訳)

20章には、異教の神に子をささげる者について(2-6節)
神さまではなく、霊媒や口寄せなどに頼る者について
親をのろう者
人妻との姦淫者(11-21)
同性愛者(13節)
動物との姦淫者(15-16節)
などについてかかれている。

こういう者たちは異教の国の者たちが、平気な顔でしていること。

しかし、神さまは明確に語っておられる。

『わたしはそんな連中が大きらいだ。』(リビングバイブル訳)

そして、それを犯す者は、イスラエルから追放されたり、死刑にすると。

なぜ、神さまはこういわれたのだろうか?

26節には、わたしが聖なる者だからおまえたちも聖なる者となりなさい。

神さまは聖く、義なるお方。

一点のかげもない。

我々の罪を赦すことなんて到底できない。

それほど、罪というものが大きいから。

死に値するものだから。

たとえどんな小さな悪でも罪に変わらず、死刑になる。

嘘、偽り、心の中での姦淫、盗み、高ぶり、蔑み、自己中、キレる、殴る、憎しみなど。

だから私たちは身代わりの動物(牛や羊)に自分の罪をなすりつけ、殺すことによって罪が赦された。

それは、永遠の掟として決められたもの。

だけど、新約の時代から、Jesus Chistが来て下さり、聖なる神の子の血によって、この生け贄制度を廃止して下さった。

私たちはいつもこの恩恵の血に預からなくてはいけない。

キリストはこのために来て下さったのだから。

今自分の罪を悔い改める時を持ち、主イェスの血に全ての人が預かることを切望する。

主よ。

御血を感謝します。

あなたの血は全ての罪から、悪からきよめます。

私のために流して下さった。

傷を、苦しみ、血を心から感謝します。

あなたの愛に応え、全てを献げて生きていきていきたいです。

どうか導いてください。

この祈りをイエスキリストの御名で祈ります。

amen。



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…心の中で疑わず、ただ自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。
だから、あなたがたに言うのです。
祈って求めるものは何でもすでに受けたと信じなさい。
そうすればそのとおりになります。
マルコ11:23-24

祈りってすごい。
ほんとに聞かれる。

でも心の中で疑う者、また悪い動機で願う者の祈りは答えられない。

また罪をもっているままでも。

いつも信仰をもって祈る必要がある。

動機は主の栄光のためである必要がある。

罪を捨ててきれいにされ続ける必要がある。

何より祈りの人でありたい。

主よ。
私の罪赦し、洗いきよめ、造り変えて下さい。

祈りが聞かれる特権に感謝します。

いつも祈るものであらしてください。

イエスさまの御名前で祈ります。

amen。