わたしは預言者には幻や夢の中で話しをするが、モーセは特別だ。
彼はいつでもわたしと会って直接話しができる。
わたしの姿を見ることも出来る。
それなのになぜ恐れもなく彼を非難するのかっ!民12:6-8(リビングバイブル)
これはモーセが、イスラエル人の妻でない、クシュ人の妻をめとっていることを理由に、モーセが特別に神さまと話しあっているのにひがんで、アロンとミリヤムが非難した後に、神さまが二人を激しく叱りつけた記事です。
この後ミリヤムはらい病のように白くなり、しばらくの間、宿営地から追放されてしまいました。
ここで学習すべき事は、モーセは特別な選びの器だという事です。
普通の人でもない。
普通の預言者、教師でもない。
神の霊が宿った神のしもべだということ。
モーセは神さまと顔と顔を合わせて話し合い語り合い、これからどのように進むべきか、何に気をつけるべきか、ルールは何を守ればよいかなどを会見の天幕といわれる所で語り合ったのです。
新約の時代に入り、私たちはイエスさまがして下さった十字架の勝利によって律法が終了し、大胆の神の御前に進み出ることができる恵みに預かりました。
ですから、愛する皆さん、今や私たちは、血を流されたイエスさまのおかげで、神さまのおられる至聖所に堂々と入っていけるのです。ヘブル10:19(リビングバイブル訳)
さて、ここで私たちに教えられる事は、モーセが語り合ったように、私たちにも至聖所はあるだろうか??
という事です。
神さまに何でも言ったり語れたりできる個人的な場所はあるでしょうか?
私たちはイエスさまの血によって大胆に神の御前に進み出ることができるのです。
しかし、Ⅰヨハネ3:21にも指摘があるように、自分の心に責めがなければ、良心が潔白であれば、大胆に神の御前に進み出ることができます。
神の御前に行くというのは、神に憶えられ、神のビジョンが語られ、神の思いが与えられるという事です。
これほど、素晴らしい祝福はなく、私たちの望んでいることです。
悔い改めが必要です。
良心の責めがあるならば、イエスさまの血によって洗い流していただき、赦され、それから、神の御前に進めるのです。
神の御前にでましょう。
全ての抱えてる問題の一つ一つを神の御手に置きましょう。
私たちの問題がほんとに解決するのは、神の御前に出るからです。
神に全ての解決があります。
委ねましょう。
必ず主が最善を成して下さいます。
主よあなたの御前に大胆に出られる特権に感謝します!
あなたがしてくださった十字架を私たちは永遠に誉めたたえましょう。
あなたに全ての栄光がありますように。
イエスの御名によって祈ります。
amen。