火災報知器が鳴った。だが、これはぼくが入院して3度目ぐらいのことだった。
「ボタン、あれば押してしまう」と言って、お年寄りの患者が左手で右手を抑えていた。
ぼくは入院してから、3週間ぐらいの間に分かったのだが、入院したのは何らかの異常行動をしてしまった人のようだった。あとは、アルコール中毒とか。アルコール中毒の人の中には気難しい人もいた。自分は障碍者でないと回りを見下していた。
ぼくはバイクで逆走した。これがなんの障害なのか? ぼくはスマホで調べた。そういう異常行動はストレス障害でもうつ病でも、してしまうことらしい。
なんにしても、ぼくがしたことは措置入院を宣告されてもしかたがないことだった。
だが、この病院の食事はおいしい。ぼくはそう思った。
8月の下旬の土曜日、母と弟が差し入れをもってきた。お菓子とぼくの中学の時の英数国の教科書と参考書、ノート筆記具をもってきてくれた。これで、勉強ができる。
弟は聞いた。問題集とかもほしいかと。ぼくはほしいと答えた。弟のユーチューブ番組は好調なようだった。弟が稼いだお金がぼくの入院代などになるのか? とぼくは計算した。
「9月になれば散歩とかをさせてくれて、外出とかをさせてもらえるようになるかもしれない」とぼくは面会室で二人に言った。だが、ぼくが家に帰るのは迷惑に思われないか?
「よかったね」と弟は言った。
ぼくは中学の時に担任だった先生が面会にきたので、高校入試などの願書のお願いなどをしたことを話した。弟は知っていたようだった。母は「よかったわね」と言った。
「猫がね。家に迷ってきたの。チャコって、名前をつけた」とか母が言った。猫を家で飼い始めたらしい。
二人とも、ぼくがなぜバイクで道路を逆走したかなんてことは聞いてこなかった。そのことは、そっとしてくれた。
ぼくは差し入れをよく見た。ぼくは参考書をもっていた覚えはなかった。そして、新品だった。弟が買ってくれたという。ぼくは弟に礼を言った。
精神病院に二人とも長居したくないのでないかと、ぼくは思った。
母が聞いた。「お小遣いは足りているか?」と。ぼくは入院して、お金を使うところはなかった。
いまになって気づいた。面会室には30分程度で済ますように貼り紙がされている。母と弟は帰っていった。
Dルームで英語の勉強をしていて、20代の年上の女性が声をかけてきた。彼女は英語だけでなくフランス語も話せるという。それで、英語の勉強を見てくれることになった。彼女は大学の中でマーチと呼ばれるうちの一つの大学を卒業したそうだった。