母の話では、ぼくは自分が点滴をされたままでずっと寝ていたそうだ。母は1日おきに見舞いにきていたという。それで、ぼくが病院の食事を食べないので食べ物を母が差し入れしたらしい。
そして、心配したことがあった。トイレはどうしていたのか? これを看護師さんに聞くと自分でやっていたという。
これは、ぼくの別の人格がやっていたとしか、説明できないのでないかと思う。
その頃の話ではぼくはあと2か月ぐらいで退院させるということだった。だが、実際はその時の来年の10月まで退院させてもらえなかった。
チリ紙交換屋の仕事さえ出来なくなった。ぼくはその時、早く退院しないといけないと焦っていた。でも、ぼくの人生は半分は終わった。心配したトラックのローンは親がやってくれて、心配することはなかった。
母が夕食前に見舞いに来てくれて、稲荷寿司などを差し入れしてもらって食べたことがある。その日、病院の夕食を食べられなかった。
ぼくは人生を諦めればよかった。そうすれば、苦しみは大分減っていた。