保健室登校をしたのは、2週間ぐらいの間だっただろうか。先生はそれぐらいでぼくを普通に授業を受けさせても問題ないと判断したようだ。

ただ、池田さんがこう、メールに書いてきた。

<ペーパーテストに対応できるだけでなく、生きるというスキルを身につけること・・・>

とか。いくらペーパーテストで高い点数を取っても、学校を卒業したら意味をもたない。

ぼくは勉強するということが分からなくなっていた。

 

ぼくがUFOの基地を探すだのということのために白神山地を目指した1994年はバブル景気の破裂により日本の年間の自殺者が3万人を超え、就職氷河期が始まったころだった。未来に希望がもてないという時代だった。

株価下落により、保険会社がばったばった倒産した時代だったが、母の勤める保険会社は他の会社と合併するなどして生き残った。父の建設業はなんとか仕事はあった。

 

中学2年生の2学期、高校受験を考えるようになる。まず、自分のことを考えないといけない。

ぼくは夏が終わって秋になるころ、日曜日の午後に近くの総合公園の道の階段を上り下りするようになった。白神山地で宇宙人の基地を探すための体力作りだ。そんなことを池田さんにメールすると、荷物を背負うといった負荷をかけることをはじめからしないで、膝を痛めたりしないように気をつけないといけないと真面目に返事をしてきてくれた。

菊池の知り合いには、親の遺産が入ったことで遺産で遊び回って、身長は160センチぐらいなのに100キロぐらいの体重になってしまった人がいたそうだ。文字どおり、親の遺産を食いつぶしたわけだが、それで股関節の軟骨がすり減り、車椅子が必要な状態になっているという。だから、負荷をかける運動は筋力がある程度つけてからにしないといけないということだった。池田さんはその人との関係を教えてくれなかったが。