「セカンドカーブはヒマラヤの挑戦から」
ミッキーです。
約1カ月のネパール滞在だったために、今月は、毎月1日のブログお当番を遅らせてもらいました。
先月10月12日の還暦の誕生日、私はヒマラヤ山脈のどまんなか、アンナプルナサーキットルートの出発点マナンの山小屋で迎えました。
同行パーティの仲間たちに、ご当地名産のアップルワインで祝ってもらいました。標高3500mを越える高地のため、1杯だけだったけど(笑)
驚くことに、同時刻に東京で誕生日パーティが開催され、絵本仲間や友人たちが集まってくれたのです。
しかも、wifi経由でzoomにつないで、東京で用意してくれた誕生ケーキの蝋燭をヒマラヤから吹き消しました。
ケーキは東京で食べてもらいましたけど(笑)
なんと幸せな還暦なんでしょう。
世界で一番美しいと思う場所で、同じ思いの登山仲間に乾杯してもらい
遠く離れた故郷でも、大好きな人たちが応援とお祝いをしてくれる
感謝、それ以上の言葉が見つかりません。
翌日はまず高度順応で、Ice Lakeまで1000mの登り、8時間のトレーニング。
4600mの高地からは、アンナプルナ山群が一望。快晴で湖面に山姿がくっきり。
翌日からは、3日かけて最高標高5416mのトラン・ラ峠を目指します。
アンナプルナ山群を中心とした絶景が続き、最初の2日は歩くのも楽しい。
4500m越えたあたりから息が苦しくなってきます。
日が昇ると風が出て、峠越えが大変になるので、最終日は朝2時起床で3時出発、ヘッドライトを頼りに真っ暗な中を歩きます。標高差1100mを一気に登り、7時前になんとか5416mのトラン・ラ峠に到着しました。
そこからは一気に1600m下り、聖地ムクチナ―トへ。
今年5月にジープでムクチナ―トを訪問したときは、この峠を越えられると思っていなかったので感無量でした。
なぜ、私がヒマラヤに登ることになったのか。
きっかけは、ホテル・エベレスト・ビューホテルの宮原社長の講演を聞いたことです。
東洋大学の同僚のネパール人の先生が、日本ネパール協会の関係で、宮原氏の講演会を大学で主催してくださいました。一時的な援助ではなく、永続的にその国の発展のために尽くす。そのために困難なホテル建設に人生をかけたお話を聞いて、講演後に「いつかそのホテルに行きます」と伝えました。翌年、宮原氏の訃報を聞いて、果たせなかった約束のことがずっと心にひっかかっていました。
3年前にインフィニティ国際学院長の大谷真樹さんと出会って、また山に登るようになり、「エベレスト行けるよ」と誘ってもらい、昨年からヒマラヤにも出かけるようになりました。そして今回はエベレストBCを目指すはずでしたが、天候不順で飛行機が飛ばず、断念してアンナプルナにコース変更しました。来年は、陸路から再度EBCに挑戦するつもりです。
もちろん、登山家になるわけではありません。
ヒマラヤは、還暦を迎えてなお人生にチャレンジしていきたいという象徴です。
そして、そこに立つと「世界は広くて美しい」としみじみ実感します。
圧倒的な自然の前で、細かいことなど気にならなくなり、美しいものを壊したり争ったりしたりすることが愚かに思えます。
自分が何をすべきか、何をせざるべきか、わかると思うのです。
最後に宮原氏の著書を紹介しましょう。
『ヒマラヤの灯―ホテル・エベレスト・ビューを建てる』
宮原 巍(みやはら たかし)文芸春秋、1982年
下山後のポカラの本屋の話題の新刊コーナーで、この本の英訳版を見つけました。宮原氏の娘さんが英訳して昨年出版したものです。40年後に英訳が出るというのは、相当な思いと尽力があったに違いありません。
A Ray of Light in the Himalayas: Building the Hotel Everest View
Takashi Miyahara,, Sonia Miyahara. Nepal: Fine Print Books, 2022.