想像と創造の扉を開く絵本の力 書き手:みっちゃん@さいたま | つながっていこう~オンライン版絵本で支援プロジェクト【公式ブログ】

 

2人目を妊娠して4ヶ月目のこと、ある晩、5歳になる息子の喘息の発作が起きました。
お腹が痛いとのたうちまわり、胸をかきむしり、喉からヒューヒューという音、みぞおちがベコベコと凹み、唇はどんどん青ざめていきます。
夜の底が暗くなっていく中、夫に何度電話してもつながらず、このままだと死んでしまう、と決心して道路に飛び出しタクシーをつかまえました。

真っ暗な道がどんどん後ろに過ぎ去っていくのに、医療センターまでは永遠に続くように思えました。
救急医療センターにたどり着いたのは深夜を過ぎていました。

ぐったりした息子をかかえて裏手の受付に行くと、すでにたくさん待っている人がいました。夜中であればすぐに診てもらえるのではないかと自分の甘さに絶望していると、看護婦さんが慌てて酸素を測りはじめました。

「これは喘息の大発作です」と告げられ、重症とのこと。お医者さんに抱きかかえられて処置室に運ばれて行くのをぼんやりと見ていました。

血液検査、レントゲンの検査の結果が出て肺炎を併発していることがわかり、
6歳以下は付き添いで入院してくださいと言われたのが、朝の3時。


たった6名の立ち上げ部署に異動し半年で妊娠。出張も多く、代わりがきかない。

明日からはセミナーが何本も入っている。休めない、、、迷惑をかける。

ただでさえ妊娠で迷惑かけてるのに、子供の入院でなんて言えない。
セミナーだけ行って病院に戻ってくることは出来るだろうか?と、咄嗟に考えている自分がいました。


だから、こんなことになってしまったのではないか、と胸が痛みました。

さいわいにも、上司や周りの人たちのおかげで休むことが出来ましたが、退院して

2週間後に再び喘息の発作が起き、2度目の入院となりました。

休んだ分を取り戻そうと激務にしてしまって、子どもをちゃんと見てあげられなかった。

自分のせいだ、と思いました。
と同時に、子どもにとって母親は私だけなのに、なぜ、子どもが苦しい時に休むことに対してこんなに罪悪感を感じなければならないんだろう、と思いました。
入院に備えて引き継ぐための残務処理をしながら泣いたのを覚えています。

 

そんな2度に渡る入院生活を救ってくれたのが「絵本」でした。
 

点滴や酸素マスクや酸素濃度を図るものがつけられていて、
夜中のトイレに行くのが大変だったり、

酸素を吸入して酸素濃度が上がりすぎてドバドバ鼻血が出たり、

点滴の置き針を変えるのが痛くて泣き叫んで暴れたり、

不自由なことが多かった入院生活でしたが、

日中、ガラガラと点滴を引きずりながら絵本コーナーに出かけていって読みたい本を探している時の楽しそうな姿は目に焼き付いています。

 


彼が好きだったのは「エルマーのぼうけん」です。
さく え Rルース スタイルス  ガネット 

わたなべしげお訳  福音書店 1963年


           


エルマーがどうぶつ島につかまっているりゅうの子どもをたった1人で助けに行く冒険の話です。

エルマーが冒険のために、たくさんのものをリュックにつめて出かけるところでは、
「なんで輪ゴムとかルーペとかがいるんだろうね?」と話したり、
みかん島でいっぱいみかんを食べるところでは、「はるくんもみかん食べる」と言って、

売店で買って一緒に食べたり、
怖い動物が次々と現れる中、エルマーが戦って解決するのではなく、その動物たちの困っていることを解決して彼らが夢中になっている間に次に進むのを見て、ワクワク
ペロペロキャンディーを食べてつながれていくワニを見て、ゲラゲラ笑って、
りゅうを助けるところで、「やったー」と。
エルマーと一緒に想像と創造の世界に出かけていました。

見開きのページにあるみかん島とどうぶつ島の地図を見て、お話の途中で、ここにライオンがいたんだね、ここにみかんの皮をおいていったんだね、と、指で辿っていきました。


そのうちに自分も地図をつくる、と、冒険島の地図を作り出しました。
大好きな亀のぬいぐるみ(コックリ)と一緒に旅をする地図です。
紙粘土で小さな亀や動物をつくって、地図の上を一緒に旅をしました。病院の小さなベッドの上でどこまでもどこまでも旅は続き、小さな紙から始まった地図は、ポスターほどの大きさにまで広がっていきました。


退院後も発作は続き、救急センターに向かうのは日常になりました。

2時間ほどかかってしまう長い待ち時間を過ごすのに、リュックにエルマーのようにいろんなものをつめて行くようになりました。

その中には絵本もたくさん。

喘息と戦うのではなく、喘息とうまく付き合うことをエルマーから学んだのでした。


今年19歳になる息子は、春から芸大に通います。

 

あの時、外を走ることは出来なかったけど、絵本の中では自由に飛べた。
目で見て、耳で聞いて、想像の扉を開いて、自分からつくり出す創造の経験が、彼の根底に流れているのだと思います。

あの喘息の日々は苦しかったけれど、だからこそ、たくさんの絵本との出会いがありました。
私自身も、子どもが病気の時に休める会社、女性が働きやすい会社にしたい、と頑張ることが出来ました。

今、コロナでたくさんのお子さんが外で遊べなかったり、不自由をすることが多くあろうかと思います。

そんな時こそ、ぜひ絵本の力を借りて、子どもたちを想像と創造の世界に連れ出していってあげてほしいな、と思います。