一枚のCDが僕をここへ連れて来た。――『その名は、ピアソラ』、終了。
『その名は、ピアソラ』
2年半に渡り、多くの人々の応援をもらったこの作品。
――おそらく、その最終公演。
ありがとうございました!
白熱しました!
ピアソラは、すぐに解散してしまった自分のオクテート・ブエノスアイレスを、8台の重戦車に譬えていましたが、確かに、曲のクライマックスで五人でドカドカやっているときには、戦車になったような気がしました!あの音の感じと言いますか、ガッチリなアンサンブルの感じと言いますか。何か分かる。
必死で準備したこの公演が、没後20年のピアソラへの手向けになっていたら物凄く嬉しいです。
何より来てくださった方々、スタッフ、そしてメンバーに、心からの感謝を。これまでこの作品を聴いてくださった、ご助力いただいたすべての方に。
さらに、当日リハーサルの後半に来て聴いてくださった、中田智也さん。黄金時代の楽団リーダーだった、ちゃーさんの、目が覚めるようなアドバイスのおかげであの演奏に辿り着いたことを、忘れることはできません。
『その名は、ピアソラ』は、その内容から、ピアソラの音楽になじみのない人にこそ、多く聴いて欲しいと毎回思っていましたが、今回も、最初は本当に拍手もまばらだった客席が、徐々に反応があがって来て、後半のどこからか、気が付いたら……。
なじみのない音楽を聴いて、楽しい!と感じる人は、残念ながら非常に少ない。かといって、ウケるためにプログラム上必然性のない曲を演奏したりせず、音楽的な内容はガシッと太いいままで、楽しんでもらえる方法はないのか。
――ということを色々考えました。その中で、まずこれからにやってみるか、と実験的に書いてみたのが約2年半前。それから12回の公演を行うことができました。勿論あまりにもありがたいことですが、3回目辺りで、「しまった、これはとんでもなく手間がかかるぞー」と、ようやく気が付きました。「もうちょっと楽に出来るやつから、段々やっとくべきだった!」
二十歳くらいの僕は、オーケストラや室内楽に充実感を感じてはいたものの、表現者として自分に求めるものが、ずっとよく分かりませんでした。初めてそれをはっきり感じたのは、新宿のHMVで見つけた、たった一枚のピアソラのCD、「ライブ・イン・ウィーン」を試聴した、その瞬間。
そういったわけで、僕がヴァイオリニストとしてやっていこうと思った遠因は、ピアソラの音楽にあります。
- ライブ・イン・ウィーン/アストル・ピアソラ五重奏団
¥2,500 Amazon.co.jp
そんな理由があって、さらに自分が番組を作っていたときの経験(ただの寄り道にしてしまうかは、自分次第ですから)も生かしたこの作品には、特別なこだわりがありました。台本にも、まるで妥協ができない。- しかし、聴いてくれる人に何かを伝えるためには、ギリギリのところまで内容を削ぎとって、可能な限りの減量をしないといけない。しかし、活字のものと違って読み直せないので、前から順番に、たった一度聞くだけで分かるようにしなくてはいけない。その上、できるだけ一瞬一瞬面白くなるように……
- ――台本を本当の意味で仕上げようとすると、それだけで限界まで追い詰められるものです。
自分の至らぬところは多々ありました。でも、自分自身が尊敬している贅沢なメンバーに囲まれて音楽に入れ込み、それをお客さんに楽しんでもらえる。言いようがない充実感がありました!幸せなことです。
- もっと反応したい。もっとこんな音で、こんなリズムでもっと!といった具合に、こういう時ほど、よりやれるようになりたいことが一気に増えるものなのでしょう。力及ばぬところも、はっきりする。 それが、悔しいんだけど、すごく嬉しい。
終わってエル・チョクロを出た瞬間、写真を一枚も撮っていなかったことに気が付き、慌てて一枚だけ撮ったら、こんな訳の分からない写真だけが残ってしまった↓。- あおりで外打ちを撮りたかったんだね(でもほとんど切れちゃってる)、ということだけは、分かる感じ。どなたか、写真を撮っていた方がありましたら、いただけないでしょうか(笑)
さらに、翌日は早朝出発、所沢でお仕事だったため、思う存分飲んだり話したりできなかったのも心残りでした。みなさん、ありがとうございました。今度ゆっくり飲みましょうね!