quoVadis東海を行く(5)
まことに遅くなりました今頃になって、シリーズ最後の記事にたどり着きました。もう執念で書きました笑。
quoVadis『その名は、ピアソラ』ツアー最終日。
名古屋!
最初に構成を書き始めてから、15ヶ月。
10回目の、記念すべき『そのピア』は、テレビの仕事をしに何度となく訪れていた、名古屋でした。偶然というものの恐ろしさを実感します。東海のスケジュールは、僕が組んでないんですけどね。
DOXY!!
店内にはスクリーンまであります。
浜松まで来て、そして、この名古屋まで来ていながら、お目にかかれなかった、大切なもの。うなぎ様。
池田くん、大熊くんは、前日昼に袋井でもっとも美味しいという、うなぎ様を食べに行っていたのですが、なぜか(?)調子の悪かった僕は、行けなかったのです!
コンビニで買った味噌汁を泣きながらすすり、二人を待っていたあの一時間。あの時、世界で一番孤独でした……
タイト目のスケジュールではありましたが、それでも開演50分前にはリハーサルが終わって、みんなで行きました!うなぎッ!おそらく、quoVadis結成以来の、一致団結度だったのです。リハーサルの集中力が、いい感じだったのは、うなぎ様のおかげだったのかもしれません。
栄のラシックというデパートの中にある、「ひつまぶし備長」。丸野さんが、お友達に訊いてくれたお店です。
僕だけ時間がなかったのもあって(足りなくなってしまったプログラムを、コピーするのを忘れていた……)、僕はひつまぶしをやめて、うな丼にしました
名古屋の公演は、どれくらいお客さんが来てくれるのか、かなり心配していました。
しかし、協力してくれた方々のおかげに、R25の効果もプラスして、ふたを開けてみれば、ほぼ満席。ありがとうございました!
ブエノスアイレスを訪れた時お会いした、西村秀人先生&谷本雅世さんご夫妻。お世話になりました!
台本の元になった資料は、ほとんど日本語訳に西村先生が関わっています。雅世さんには、主にブログ からその音楽情報に刺激をもらっていて、尊敬するお二人に聴いてもらえて、恥ずかしかったんですが、うれしかった!
初めてタンゴの仕事をしたとき、お会いしたミュージシャンの一人、ヴァイオリニスト水野慎太郎さん。
名古屋を中心に活動しておられ、この次の週、鎌倉でコンサートされていました。舌を巻く超絶技巧!まったく響きのない会場で、マイクもないというのに、観客を魅了する凄腕です。
それに、ディレクター時代、一緒に働いていた、デザイナーのYちゃん。
本当に面白い、デザイン(と会話)のセンスあふれる彼女は、このDOXYで一番泣きながら聴いてくれました。当時、きつかったけれど全力で台本を書いていたから、染み付いたものがあるのです。まだまだですが、むしろこれから役に立つようにしたいところです。
そして、中学時代の同級生、やま!
まさか名古屋のライブハウスで会うなんて。僕の経歴を見れば、回り道だらけの人生ですが、意外にも初志貫徹していた。彼と話していて、そのことに気が付きました!言われてみると、昔から似たようなことやっていますね……
『その名は、ピアソラ』
……ついに終わっちゃった。またどこかでやってみたいものです。そんな話も、いくつかないわけではありませんが、ここで一つの区切りが付いた気がします。
元々は、役者が演じる一人芝居みたいな台本をちょっと書いていたのです。予算の都合上、すぐに自分が読む覚悟を決めて、内容をほとんど書き換ました。
でも、最初のバージョンがそのまま残っている部分が一箇所だけあります。それは「想いのとどく日」につながる、ピアソラの少年時代、カルロス・ガルデルという当時のスーパースターに出会う回想シーン。
資料を読んでいて思ったのが、ピアソラはパリで倒れた時に、間違いなく臨死体験をしている。その後の性格の変化などが裏付けていると思うのです。
そしてその時、最初に浮かんでくる景色はニューヨークなはずなので、ひょっとするとこんな情景だったかもしれない、と思った時、自然と書けていました。このシーン、曲が終わると、ラストシーンを残すのみ。
ここは、一番最初に台本が書けた部分で、しかも千秋楽までまったくそのまま残りました。物語上、多分一番印象に残るはず。
ツアーを支えてくれた多くの方々、お客様、本当にありがとうございました!
おかげさまで、『その名は、ピアソラ』を媒介にして、想像もしなかった出会いや体験をすることができました。
厳しすぎるスケジュールの中、本当に演奏をしながら愉しかった、メンバーにも尽きない感謝を!
上演回数を重ねるにつれ、どんどんピアソラの音楽への思いも深くなっていきました。
次は何してやろ。
もっといろんなことをしてみたいけれど、自分の力や予算を考えると、まずは精進あるのみ。新たな自信を持って、更なる作品を生み出そうと、思っています。