ゴールデンウィークの真っ只中でありながら、Stay home そして Stay in Tokyo を実践している高倉です。しかしながら、連休とは名ばかりで、仕事上、次の一手はどうするべきか、世の情勢はどうか、どう準備を進めるか、そしてその実務……ネット上の会議が続きます。今日も結局パソコン画面とにらめっこすること8時間はくだらないか……。

 

それにしても職場の若手が本当によく動いてくれていて、まったく頭が下がる思いです。同時に自分の力のなさも感じます。テレビ会議をしていても、オンラインのテクニカルな話になると気絶している自分にちょっと笑ってしまいます(~_~;)

我が職場の若手の素晴らしいのは、やらされている感がまるでないってことです。いつも使命感で動いているんですね。これってすごいことだと思います。まさに彼らの「美意識」。私流に言えば「職人魂」かな。

 

前回のブログで「美意識」が本校の研究テーマだと紹介しましたが、はじめは「職人教師」というキーワードを研究テーマに織り込みたいと、私は思い描いていました。

 

今、全国で「○○スタンダード」(○○には地名が入る)が流行しています。時代的に定年退職者が多い昨今、同時に新卒の先生がどんどん採用されています。早く一人前の教師になってもらわなきゃいけないってんで、○○スタンダードを研修してもらうわけですね。学習課題は黄色のチョークで枠を描く、まとめは……、みたいに、合格点が取れる授業ができるように、早く安全なレールに乗せるためのノウハウを、いわば教え込むわけです。

 

このことに私(たち)は、ただならぬ危機感を抱いています。目の前にいる子どものありようは本当にバラエティに富んでいます。それを「スタンダード」という枠でおさめられるのかな? 教師だっていろんな個性がある。なのに「スタンダード」化で画一化された授業をしていいのかな? という危惧です。おっと、また言い過ぎました、ごめんなさい。確かに「型から入って……」というセオリーがあることも、それが奏功することもよく知っています。しかし、危惧するのは、そのセオリーだけを盲信して、その次に進めない、進もうとしない教師がいたとしたら怖いことだと思うのです。

 

教師っていうのは「職人」だと思っています、私は。はじめから授業がうまい人なんているのでしょうか? そりゃセンスのいい人はいます、最初から。でも、その人だって、長い教師人生の中で高いセンスがさらに磨かれたり、時には挫折したり、そこで得るものだってある。そしてだんだん教師としての深みが出てくる。その人となりが授業に出てくる……。だから、ロボットじゃなくて人間が教師をしている意味がある。もしかするとITロボットが教師をした方が、学習内容はしっかり子どもたちに伝えられるのかもしれない。が、生身の人間が教師をやるから、不完全な人間が教師をやるから価値があるのだ、と思います。その生々しい人間教師と付き合うからこそ、子どもも人との付き合い方を会得していく。時には理不尽もあるだろうけれど。

 

このコロナ禍もそうです。いつまで緊急事態宣言が続くのか。本当はもっと自粛を続けなくては。でも経済を考えればそうもいかない。経済をストップさせれば、補償問題もある。……とにかく割り切れない、理不尽なことも多いのがこの世のありようです。

そこで右往左往するのが人間ですし、右往左往しながら知恵を出し合って、これまでも様々な禍を乗り越えてきたのです。それが人間の素晴らしさでもある。

 

だからというわけではないけれど、教師も人間臭くていいって思うわけです。そこで思いついたのが「職人教師」なる研究テーマ。でも、仲間から「タカちゃん、そりゃちょっと行き過ぎかもなぁ! 生々しすぎる。気持ちはわかるけどね……」となだめられ、そこでみんなで合意できたのが「美意識」というワード。うん、これ、気に入ってます!

 

前段が長くなりました。今日は実はとっても悲しい話。やりきれない話。

前回のブログで、休日に14,000歩も歩いて楽しかった!ということを書きました。

部屋を出て、15分で行ける大きな公園に向かい、そこで3密を避けて公園の周りを2周したあと、練馬区まで遠征。今まで知らなかった道、商店街を通り、床屋を見つけて…と書きました。

 

そして今日、あれから4日しか経っていないのですが。

その練馬の商店街の中にある「とんかつ屋さん」が火事になり、店主の方が亡くなったというニュースを見つけました。

どの店かは覚えていません。でも、確実に私が歩いたであろうあの商店街の中にある、あの通り沿いにあるお店に違いありません。ネットで住所を調べて確信しました。

 

なんということでしょう。ニュースによれば、このコロナ禍で店が立ち行かなくなり、悲観しての自殺ではないかということでした。

ああ、なんていうことでしょう。

その店主さんは、今年の東京オリンピックで聖火リレーの走者だった、走ることになっていたそうです。一体どんな思いで……。

 

こんなことはあってはならないことです。

 

一体私たちには何ができるのでしょう。

 

私の父は、とんかつ屋さんではなく、洋服屋でした。紳士服の仕立て屋です。つまり職人。腕一本で家族を支えていました。

私が高校生の時でしたか、父が体調を崩して数ヶ月店を閉じたことがありました。その時初めて、収入がないことの大変さを薄っすらと感じました。薄っすらというのは、店を切り盛りしていた母が、息子たちにはそれを感じさせまいと踏ん張っていたからに他なりません。

「商売は大変だよ……父さんが洋服縫えなくなったら一銭もお金が入ってこない。お前たちにはこんな思いをさせたくないなぁ」と言っていた母、いや、父も言っていましたっけ。大変なんですよね、腕一本で食べていくっていうことは。

 

あぁ、とんかつ屋さん……。ご冥福を祈るばかりです。

 

先日亡くなった岡江久美子さんの旦那さん、大和田獏さんが言ってました。「コロナは怖いです」と。本当ですね。

 

まだまだ続くであろうコロナとの闘い。

 

私たちは教師。職人。今何ができるか…考えたいです。

 

職人だったとんかつ屋さんに、レクイエムを捧げたいと思います。

フォーレのレクイエムです。