最近、とある芸能人のエッセイを読んだ。

 

その中の一文に、SNS等での誹謗・中傷に心を痛めてしまうという内容が書かれていました。少数とはいえ、そういうメッセージは印象に強く残り、落ち込んでしまうと書いてあった。

 

私も色んな批判はしてしまうが、これまで【名指しで個人】を批判・誹謗中傷したことは無い。

世間一般にはこういうのは良くないよね!程度だ。(多分)

 

私は前述の芸能人と違い、匿名なので何を言われても大して動じないし、嫌ならすぐに辞めれば良いだけだ。

私が作った動画等で気分を害したという人には、動画を作った意図はどうであれ(仮に誤解であっても)気分を害させてすいません。と、謝るだけだ。

 

現実の世界でも日々そういうことはある。

 

基本的に、世間一般には【こういうの良くないよね】って発信しているものに対して、批判をいう人間は、自分がそれに当てはまり、そのことに自分の事だと決めつけ(まぁ、本人がそう思うならそうなんでしょう)批判してくる。

要するに根拠のない憶測で物事を決めつけたり、結び付けたり、付け加えたり・・・人はそういうことをしてしまう。

勿論、その中には勘違いもあるだろう。

でも言ってしまったら、そこから物事は進んでしまうのだ。

 

そして、そういう人は少なからず他でもトラブったりしているようで、いろんなところから【噂】が流れてくる。

ただ、そういう噂の類を全て信じてはいないが、少なくとも私の中では【だろうね】と思ってしまう。

 

世間には色んな人がいて、たまたま波長が合わないだけだと思っていて、人それぞれにダメなとこも、凄く良いところもあると思っている。

たまたまダメな部分が強すぎて、私的には合わないというだけの事。

 

そして今は凄く仲がいい人でも、急に険悪になることもある。

 

仕事でもそうで、最近は人に対して本当に言葉を選んでるなぁと実感している。

 

一昔前の自分なら罵倒してもおかしくない事でも、極力優しく悟るように話す。

この【演じている自分】が心底嫌いだが、ハラスメントという言葉が席巻している現代では何が命取りになるかわからない。

私がもう少し若ければ、批判してくる人と激しく言い合いもするのだろうけど、生憎そこまで【暇】ではない。生産性もない。

最短の解決を試みるだけだ。

 

そして人は感情を持っていて、その感情も、日々生きていれば浮き沈みもある。その浮き沈みの中で、時には我慢し、時には我慢しきれなくなる。

我慢しきれなくなったときに、気がついたら言ってしまっていた。

そういうものだと思っているが、ある一言が決定的に亀裂を生むという経験は何度もしてきた。勿論、自分だったり他人だったり。

 

そして個人を口撃することで、それに同調し増大して、その結果悲惨なニュースを目にすることとなる。

 

最近ではゲーム内で発言することを控えている。

ちょっと前の私を知っている人は驚くほど静かになったと思うだろう。

 

これはどの言葉が誰を傷つけるか予測がつかないからだ。

よく知らない人たちと言葉で会話をするということは、その人数分潜在的にリスクが潜んでいる。

 

ゲームは好きなので、極力謙虚に、穏やかでかつ冷静に楽しみたいと思っている。

 

このエッセイの著者は、心を痛めつつも歯を食いしばって頑張っているんだろうなと、そんな気がする。

 

心身ともに健康

この言葉はとても難しい。

 

体を痛めつける暴力(力)と心を痛めつける暴力(言葉)

 

心と身に優劣はない。