まず、最初に、返せなかったこと。
ポビシュレのアパートの住居を買うとき、
両親から400万円借りた。
少しずつ、返していたんだけど、
2010年、11年頃に、
女房の会社に、倒産の危機が迫った。
日本人の社長さんが、社員を集めて、
「後、3ヶ月で倒産します」
と言ってから、
奇跡の大躍進で、
現在、女房の会社は、ポーランドで1位、2位を争う、
大手漫画出版社。
だけれど、その倒産の危機の時には、
両親にお金を返すことが、できなかった。
結局、全額を返すことは、できなかった。
もし、母にできた恩返しが、一つだけあるとしたら、
2015年7月に、母に、母にとっては孫の、
僕の息子を会わせたこと。
初対面で、最後の対面だった。
母は、その3ヶ月後に、入院先の病院で、
がんのために亡くなった。
その昼間、親戚家族に80歳の誕生日を祝ってもらった、
夜11時10分に、静かに息を引き取った。
僕は、母に、何もしてあげられなかった。
がんで苦しんでいる時に、
背中をさすってあげることも、できなかった。
母に、のんびり、旅行に出掛けさせてあげることも、
できなかった、、、
母は、入院の間際まで、
小樽の硝子土産物屋の北一硝子の、
主に醤油差しの検品、箱詰め、包装の内職を
続けていた。
文字通り、
死ぬまで、働き詰めの人生だった。
僕は、、、
母に、、、何も、してやれなかった、、、
鬼武彦 拝