今日は、次兄の誕生日。
僕より二つ上。
子供の頃から、同じ2月生まれ、
と言うことで、
一緒に誕生日を祝った。
けれど、僕は、上の兄二人とは、
ほとんど遊んだことがなく、
疎遠だった。
それが、
母が死に、父が死に、長兄は行方不明、
残った家族は、次兄と僕だけになると、
次兄から、誕生日祝いのメールが来たりと、
そやな、生き残ったのは、二人だけやもんな、
と最近、次兄を近くに感じている、、、
もちろん、今日、次兄に誕生日祝いのメールを送った。
次兄は、長男が、出産のときに窒息寸前で生まれて来て、
車椅子で生活している。
頭はいいけど、車椅子。
次兄も、どうして、、、と、きっと、
思ったに違いない。
僕の息子は、発達障害だけれど、
5体満足。
それでも、本人(息子)は、あまり、
幸せそうでは、ない。
でも、車椅子って、大変。
ちょっとでも段差があったら、動けない。
次兄も、きっと、親として、
思うところが、あったに違いない。
逆に、僕が、自分の幸せを思うべきか?
子供の頃は、
五人の家族が、
二人だけになるなんて、
思いもしなかった。
これが、老いる、と言うことの
別の面での現実。
老いるとは、肉体が老いるだけでなく、
近親の人間が、死んで逝く、と言うこと。
もちろん、家族なんて、
嫌に思うこともあったけど、
ひとり死に、二人死に、
家族が二人だけになると、
なんだか、切ない。
死んでしまったら、
もう、ぼやくことも、できない。
ありがとう、って伝えたくても、
もう、伝えることもできない。
それが、老いると言うこと。
家族が、死ぬと言うこと。
鬼武彦 拝