幼いとき、名寄川の水が、溢れそうに流れているのを、母の手をつかみ返しながら、
じっと、眺めていたのを覚えている、、、
母は、明るく、おしゃべりの人だったが、子供には、厳しかった。
味噌汁のお椀に、わかめが一枚こびりついて残っていたら、食べるようにと、怒られた。
お陰で、未(いま)だに、食べ物は、お椀やお皿に一片(いっぺん)のかすも残らないように
僕は、食べる。。。
母は、死ぬまで、働きづめだった。。。
札幌の新居に移ってからは、母の妹夫婦が経営する、小樽の北一硝子の醤油差しとかの
土産物のガラスの検品、箱詰め、包装を、癌に倒れる直前まで、続けていた。
僕がまだ、若くて家に居たとき、母はよく、「老後になって、時間ができたら、油絵が
描きたい、、、」と言っていたが、その夢は、ついに叶わないで、癌に倒れてしまった、、、
母は、80歳で癌で亡くなったのだけれど、普通の人でも寿命で亡くなったりする
年なのだけれど、僕は、もっともっと、母に長生きして欲しかったです、、、
母が入院する前、スカイプで母の携帯に電話したとき「また、いつか、元気になって
外を歩きたい、、、」と、残念そうに話していた、母の声と言葉が、いつまでも耳をついて
離れない、、、
僕は、母に、何の孝行もできなかった、、、
鬼武彦 拝