居籠祭りのパトロール | 太のブログ

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小雨がぱらつく土曜日、前日の大雪もまだあちらこちらに残ってました。
今晩はPTAのお仕事で、「居籠(いごもり)祭り」のパトロールに行ってきました。

居籠祭りの起源は、、、
その1、4世紀のころ、祟神天皇の御代に、弟の武埴安彦(たけはにやすひこ)とその妻の吾田媛が背き、木津川をはさんで対陣しました。この戦乱で安彦は負けて首を切られたが、首は祝園に飛び胴体は棚倉に残りました。戦乱の場となったこの辺りでは、多数の戦死者がでました。
 その後当地と対岸に疫病が大流行したので、里人は戦後の災いを恐れ、斎戒して社頭に集まり祈願したと言い伝えられています。祝園神社では、安彦の首を形どった竹輪を引き合い、湧出宮の大松明
(おたいまつ)は胴体を形どったものと言われ、昔から両方で慰霊のまつりがあったとの言い伝えがあります。
 その2、「戦前の国定教科書の国史の中で、「神武天皇が御東征された時、長すね彦と交戦し賊軍は亡びやがて大和入りを果たされた」との事。かつてこの神話も、いごもり伝説に登場したこともありました。
 その3、村人を困らせた大蛇退治の伝説が起源とも言われています。
 以上のような伝説を持っているいごもり祭は、農耕の神への祈りと一つになって、代々引き継がれ、それに室町時代ごろから、農耕儀礼が加わり、次第に祭の形が整ってきて、今日の祭礼に至ったようです。
 この付近は、湧出の弥生遺跡と呼ばれ、大昔の土器・石器が出土していますが、飢えに苦しんだ古代人たちが、始めて知った稲作の喜びに、ひたすら農作の神をあがめ、五穀豊穣を祈り感謝したことでしょう。
 なお、いごもり祭前の2月15日未明の森回しは、神を山からお迎えし、農耕を守っていただき、12月16日の森回しはそのお役目を果たされた神様を、山へお送りする神事だろうと聞いております。
(中谷志津枝「ふるさとの歴史を語る」より抜粋)



まずは、パトロールの前に氏子としてお神酒をいただきにきました。

生たいまつ

後に点火される松明です。


お神酒踊り

お神酒


私もお神酒をいただきました。


本殿太鼓

本殿の舞

本殿では既に舞いが奉納されていました。



パトロール

時間がきたので集合場所へ行って腕章をいただき
パトロール開始です。
パトロールって行っても遅くまで子ども達が
わいわいしないようにうろうろするだけのことですが、、、。

松明点火

松明に火が灯りました。

白装束

下火になるのを待って、白装束の二人が
松明の一部を移動させます。


祝詞

神主さんが祝詞をあげておられます。


消防団

消防署だけでなく、地元消防団の皆さんも
ご苦労様でした。



このお祭りの始まりは西暦500年頃だそうで、
当時の日本では弥生文化が終わり古墳文化の真っ最チウ。

今年から私もこの祭りを司る「座」に加入することになりました。
古い伝統を繋げていく一人になれたのは光栄なことですが
右も左もわからない状態でこの先ちょっと心配です。