こんにちは
大西ひろゆきです。



安政南海地震(1854年)の際、稲束に火を放って住民を高台に避難させ、津波から救ったとされる実業家・浜口梧陵ごりょうの功績を伝える「稲むらの火祭り」が15日、和歌山県広川町で行われた。今年3月の東日本大震災では津波の被害が大きく、住民ら約450人は先人の教えを伝え残すことを改めて誓った。

同町役場前に集まった参加者は、大震災と9月の台風12号の犠牲者に黙とうをささげた後、たいまつを手に約2キロ先の広八幡神社を目指した。途中、田んぼの稲束に火が付けられ、「稲むらの火」が再現された。


大震災で同県沿岸に大津波警報が発令された際、同神社に避難したという近くの主婦殿村国子さん(67)は「大震災で津波の怖さを思い知らされた。みんなで力を合わせ、梧陵さんの教えを伝えたい」と話した。
【読売新聞】


当時、ヤマサ醤油の当主で、江戸に拠点を移していた時に、たまたまヤマサ醤油の発祥の地であり、生誕の地の広川に休養で来ていた時に、津波を事前に察知して的確な判断と、その後の復興に惜しみの無い力を注いだ偉人として知られています。

大きな地震の後には必ず津波が来ると、お寺の鐘を鳴らし続け、高台にある広八幡神社に村人を誘導して行った。

最初は馬鹿にしていた住民も、みるみる海の水が消えて行き、海底の地面が見えたと思いや、津波が押し寄せて来た時に、浜口梧陵さんに感謝したと言う。

その後に太陽は西に傾き、暗くなった状態で海に流された人々を助ける為に稲むらに火を付けて回ったと言われています。

未曾有の予測不可能な大津波に遭遇して、村人の9割を助けた偉業は素晴らしい事です。

この行動力は政治力でしょうし、責任を自分で取り、人々を守る責任感の表れだと思います。


震災・大津波後の復興にも大きな力を発揮致します。

4665両の私財を全て投じて、復興と人口堤防を作り上げました。

村人の仕事口を作る為にも、絶対に必要な事であり、今でも広川町には堤防が残っています。

浜口梧陵さんの足元にも及ぶ政治家が今現在いるでしょうか?

東日本大震災を予測不可能と断じ、救援も復興も情報提供も出来ない今の政府に、浜口梧陵さんの爪の垢でも飲ませてやりたい。

政治家は自分の身を挺して、人々を助ける・・・これだけが必要なんですよ。




ちなみに、嘉永5年(1852年)、同業の濱口吉右衛門(東江)・岩崎重次郎(明岳)とともに広村に稽古場「耐久舎」(現在の和歌山県立耐久高等学校)を開設して後進の育成を図った。

この岩崎明岳さんが中央区の天明館 丹生家の縁者であるので凄く親しみやすい話でした。








http://ameblo.jp/2009my/entry-10672572418.html大阪一区 民主党国会議員と韓国居留民団の実態





                            【お願い】

             ※自民党 大阪1区 衆議院予定者候補の支部長就任御礼

 大阪1区(生野区・天王寺区・中央区・浪速区・西区・港区)でポスターの貼りだしをしています。 一枚でも多くポスターを貼りだしたく思いますので、貼らせて下さる場所の紹介や、ポスター貼りの協力者を募集致します。

   大西ひろゆき君を衆議院に送る会 実行委員会 06-6754-2100



感謝



大西宏幸


   ペタしてね


★【絶対】クリック協力して下さい~
    ↓
にほんブログ村 政治ブログへ
にほんブログ村


★【完璧】クリック協力お願いします!
人気ブログランキングへ











♪音楽を配信中のアーティストを探してみよう