ラタナキリで思うこと | ソーリダーの 今日も おっぱにゃは~☆

ソーリダーの 今日も おっぱにゃは~☆

青年海外協力隊24年度1次隊として、
カンボジアに派遣されたソーリダーのチャレンジを描くブログです。
目標はカンボジアと日本のつながりになること。
クラチェ州にある小学校教員養成校で毎日元気に活動中!
今日もおっぱにゃは~(大丈夫)

ストゥントゥレンで行われた研修がラタナキリでも行われていたので、はしごしました。

ストゥントゥレンからラタナキリは3時間ぐらいで移動できます。


これまた、


初!ラタナキリ!!

カンボジア有数の山岳地帯!!


最後の最後にどんどん制覇していきます(笑)


こちらは、日本人や日本語の話せる教育省スタッフさんなどは来ていないので、完全クマエですが、3人ともよく知っているスタッフさんだったので、到着後、夜ご飯を一緒に食べました。


まーご飯ていうか、飲みですが(笑)



のみ

この人たちと何かを食べるとき、ビールは外せません。

カンボジアも日本も体育会系は酒です。一緒です。


研修後だったので、今日の研修のことなどなどお互いに報告し合いながらおいしい酒を飲みました。

写真はありませんが、山で採れたナントカという獣の肉をいただきました(笑)


この3人はクラチェにもよく来てくれたし、研修や出張で何度も顔を合わせています。

ずっと同じ方向を見ながら、進んできた人たち。

のはず。


でも、私は不安なこともあって。


カンボジアに本当に体育が必要なのか?(現段階で)


これは結構自分の中で常に問いかけている疑問でした。


貧しくて学校に通うこともできない子がいる現状で、日本の体育をもとにした体育授業をカンボジアで推し進めるのは、まだ早いんじゃないか(必要だとは思うけど)。


で、いい機会なので、聞いてみた。


「カンボジアに体育って必要だと思う?」


3人は即答でした。


「必要!!」


理由は、健康増進だけでなく、協力したり作戦考えたり、仲間を大切にしたり。

体育から得られるものは本当に大きい!からだそうです。


ふむふむ。


これがカンボジア人の口からきけたことはうれしかった。

やってきたこと、間違ってなかったんだね。

もちろん別の方法でも協力する力を培うこともできるけど、そのツールとして体育が有効だと思ってくれていることはうれしいなと思います。


そのあと、3人のうち1人が突然言い出したことに私は感動してしまいました。


「日本の支援は金じゃない。

金を支援してくれた国はたくさんあった。

でも金はすぐなくなる。

日本人は一緒に活動して一緒に考えてくれる。

そして知識や技術を与えてくれる。

こんな素晴らしい支援は日本だけだ。」


と。


そんなこと、言えるあなたが素晴らしいです。


この人たちだってきっと、最初はそんなこと思ってなかったと思う。

体育だって「必要なのかなぁ?」って思ってたかもしれない。

日本がお金じゃなくて技術支援をすることに不満を感じていたかもしれない。


それでも今そういってくれるのはこれまで彼らと一緒に活動してきた日本人の方の努力の積み重ねなのではないかと思いました。


とんでもない量の酒を飲み(笑)突然聞いた彼らの思い。

本当にいい酒でした。


ラタナキリは養成校がないために、この日で研修は終わりでした。

私は彼らと飲むためにストゥントゥレンからラタナキリにやってきたのです(笑)


翌日、お別れをし、せっかく来たので観光しました。


ここは地球の歩き方によると76%が少数山岳民族とのことで、クメール語ではない言語を話すそうです。

待ちゆく人々も確かにクマエ(クメール民族)と少し顔が違うような。。

なんだか任国外旅行のようでした。


クルン族が婿をもらうときに建てる婿用の家を見に行きました。

でもこれはたぶん観光用。

クルン族の村まで見に行ったんだけど、見当たらなくて。聞いてみたら最近は本当に山奥まで行かないと見れなくなってしまったんだそう。


くるん

タンプーン族の布をかいました。

色合いがカンボジアっぽくなくてなんか素敵。

仕入かと思われる勢いで買い占めました。(笑)



ぬの


滝もありますし、


たき

ゾウもいます。


ぞう

ヌンパンパテー(バゲットのサンドイッチ)はパンまで揚げてくれますが、



ぱん

ボボー(おかゆ)はいつも通りです。




クラチェと同じとこもあれば違うとこもあって、面白い。


ラタナキリはラオスとベトナムに隣接する、カンボジアの一番端っこの州。

その分遠いけど、これは来る価値がある!太鼓判!


もっと早くラタナキリの魅力に気づいておきたかった・・・


でも、初めてのラタナキリでいい思い出もできて、忘れられない州になりました。


これが私の最後の旅行の記録であります。


仕事の合間を縫って遊びに行ったり、出張がてら観光したり、

いろんなカンボジアを見ることができて、とっても楽しかったです。





そしてそして、今日で震災から3年です。

あの時私は協力隊の応募調書を書いていました。

未曾有の被害を受けた日本を見て、協力隊になんか行ってる場合じゃない!と思い、協力隊に行くのをやめようと思ったこともありました。


だけど、いろいろな国が日本を支援してくれている状況を目の当たりにし、

感謝の気持ちもあったけど、外国がどうしてそんなに日本を助けくれるのか不思議でなりませんでした。

支援してくれた国の中には、とても裕福とは言えない国もあったから。

カンボジアもその1つです。


世界と日本のつながりがみたい。


できたら、世界の人のお返しがしたい。


そう思って日本を飛び出して早2年。


私に何ができたのかなって思うこともあったし今も思ってるけど、

ラタナキリで聞いたような言葉は、継続した支援の上に成り立った信頼関係があるからこそ。


私のカンボジアでの2年は本当にちっぽけなもんだけど、たくさんの人の努力とつながりが積み重なり、今こうしてカンボジアと日本をつないでるのだと思うと、ちょっと納得した気分です。

私もその一部を担えたのなら、これほどうれしいことはありません。


もやもやしっぱなしで、すっきり日本に帰れるのか心配だったけど、すこしずつ気持ちもまとまってきました。ほっ。

開発途上国と呼ばれる国が少しずーつ前に進んでいるのと同じように、被災地も3年かけて復興してきた面もあり、まだまだ時間が必要な部分もあるんだと思います。


日本に帰ったら何ができるかわかりませんが、また自分なりにできることを探していきたいと思います。