ひみこ(前半)

 

 朝鮮半島全体を治めたのが出雲王朝だと云う。その頃はまだ大和朝は存在せず、邪馬壱国(やまいちこく)と呼ばれていた。魏志倭人伝(ぎしわじんでん)に紹介された。半島から日本列島へ引越しされた。

 

魏志倭人伝は他国のメモ書きで、サラリと触れる程度だが、この部分を教科書で真剣に取り扱うと、国史のでたらめさの内容があからさまに成ると云う。

 

三世紀以降、高句麗(こうくり)の支配下にされた、わが国は、 神武さま

から 崇神さままでの欠史八代の時代を神話として扱っている。

 

真実は、扶余国の王「仇台(ニギハヤヒ)」と、 ひみこ( 卑弥呼)さまが、

ソウルから九州へ南下して日向に邪馬壱国を、おっ建て、沖縄のナガスネヒコ(長髄彦)の句奴国(くぬこく)と戦ったと云う。

 

句奴国は蘇民将来(そみんしょうらい)の神事を執り行う程だから、

 須佐之男命さまともリンクする。

 

但し、現在の朝鮮民族は13世紀以降の話で、4世紀までは、倭(わ)と新羅(しらぎ)は一つの国と云うから話はややこしい。まだ国家意識の気薄な時代だ。

 

同族同士で血縁を結ぶ時代で民族の証は、大和ことばで繋がる時代で、大和ことばは、漢(から)文化の流入で文語体の大和ことばを意識する様になる。

 

漢心(からごころ)を嫌う倭(やまと)民族と高砂(たかさご)民族が祝儀を上げて、「高砂や」と唄にも成った。敵の敵は味方と云う事らしい。

 

ヤマト王朝が日本列島を統一する以前の話。高句麗(こうくり)が中国大陸を統一して、隋(ずい)帝国を「ズイズイ、ズッコロバシ」と破ってしまう。

 

当時、高句麗の同盟国が百済(くだら)国で半島全体を支配して、

北九州から沖縄まで手を伸ばす。ヤマト民族と、お友達関係だった。

 

日本書紀に、「スサノオノミコト、その子、イソタケルノカミを帥(ひき)いて、新羅国に降り、ソシモリの処なり。」と云う。牛頭天王だ。 日本文化翻訳学会。