柚原(ゆずはら)遠樹(とおき)の生まれ育ったのは戦後十年郡部から県庁所在地の市部に編入されて間もない町だった。小学校の四、五年生の頃であったろうか、通っていた学校の先生が一冊の本を上梓した。小柄な男の先生だったが年齢は幾つくらいであったのか。髪はやや薄いものの、ある年の運動会の予行演習でいきなり走ってみせその速さにみな吃驚したのを憶えている。先生の著した『⁂町誌』は生徒や父兄の希望で頒布されクラスごとに注文がとられた。遠樹の家でもお義理で一冊注文した。

 その『町誌』によれば、遠樹の故里の大字は元は落ち武者の里であるらしい。戦国時代この地方一帯を平定した大名に打ち破られ落ち延びた人々が草分けであるようだ。尤もそれを読んだのはかなり後年のこと。小学生がそんな書物に興味を持とうはずもなく、彼の父母も大して関心は無さそうで家の片隅に埃をかぶっていたのを、高校生あたりになってから何気なく手に取り読み飛ばした。

 著者であるS先生は、当時から地元の専門家や愛好家の間では高名な郷土史家であったらしい。学校の遠足の折、酒で顔を真っ赤にした教頭が「あの人がこんな所にいるのは勿体ないのだ」という意味のことを他の先生相手に語っていた。遠樹はたまたまそれを耳にした。それにしてもあの頃の遠足、長閑だったな。教頭が一杯()りその相手をつとめる先生たちがいたんだもの。

 柚原家は終戦直前に市の中心部から移って来た父がその里での初めだった。したがって落ち武者の子孫ではなく、元を糺せばなどと見得を切るほど由緒有りげなものでもなかった。それでも父光高は明治生まれの、鄙には珍しい学士ということもあってか、あるいはこの地に有力な引きがあったものか市内編入前は町会議員など務めたこともあるという。遠樹の生まれた昭和三十年頃は酒店兼万屋として生計を立てていた。

 落ち延びた豪族の一族郎党が主体を成していただろうその大字にあって元々の名字は五つかそこらしかなかった。里人は四百年の間にかつての猛々しさも忘れごく素朴な土民の風貌をまとっていた。柚原は無論そこにただ一軒しかないものだった。そのことは自分たちが地付きの者でないことを時に意識させた。同時にどこかハイカラな何だか選ばれた人間のような錯覚を起こさせもした。

 一つだけの名字を負った家がもう一軒あった。その家は遠樹の家よりも遅く戦後移ってきたもので小浦といった。そこには宏明という遠樹と同い年の子と、三つ違いの弟の清明という二人の息子がいた。格別気が合ったわけでも家が近かったのでもないのに宏明と遠樹はよく一緒に遊んだ。無意識のうちに余所者同士が引かれ合ったということかもしれぬ。

 宏明の父の誠太郎は甲斐性の無い男であった。光高も似たようなものではあったが曲がりなりにも生業を持っていた。誠太郎には暫らく定職らしいものも無く妻の手間取り稼ぎに頼っていたようだ。

 そのうち彼が昔学校の先生をしていたことがわかり、地元の有力者の口利きで公民館を使い今の学習塾の走りのようなことをしていた。大らかな時代とはいえ仮にも公共の建物を個人の生計の具に供することには問題もあったはず。ただ、妻の佳津子が働き者で、亭主に愛想が無い分如才なく立ち回り周囲の人々に好かれていた。遠樹の母琴恵も似たようなところがあって二人は仲が良かった。この地での少し先輩格の琴恵が夫を動かし時の町会長を説き伏せて事がなったようである。

 町会の寄り合いや青年団の活動など公の行事には場所をあけなければならないが、それ以外の大概は小浦誠太郎の私塾として公民館は使われた。形ばかりの使用料を支払って。農繁期には学業を休ませて子どもを労働力として使うことがまだ当たり前の時代だったけれど、高度成長の時期であり、少し余裕の生まれた家では上級学校へ目が向き始めた頃でもあったのだ。

 初めの生徒は遠樹と兄久志そして宏明兄弟との四人だけだった。この四人が偶々成績が良かった。その所為か、次第に子どもを通わせる親が増え、各学年を合わせると十数名はいただろう。だが幾ら昔のこととはいえ十数人の高からぬ月謝で生活ができたとは思えない。やはり妻の佳津子の稼ぎに多く負っていたようである。琴恵の知り合いに花屋をしている人がいた。季節の花を楕円形の籠に並べ自転車の荷台に載せて行商するのだ。かなりの年配でありそろそろ引退するともらしていたその人に、仕事を佳津子に教えてやってもらえないかと琴恵が頼み込んだ。とても親切な人で自分がやめたあと得意先を暫く佳津子と一緒に訪ねてやっていた。

 遠樹の母琴恵と宏明の母佳津子とはこのような付き合いをしていたが、誠太郎が柚原家に顔を見せることはほぼなかった。塾のようなものを開く話がまとまった際、口利きをした一人である光高に礼を述べるため妻と一緒に顔を出しただけだ。店先にものの一分も居ただろうか。

 誠太郎は中肉中背のどこといって特色の無い体つきをし、顔もまたどこにでもいそうな、悪相ではないにしろ、けして他人に好印象を与えるものでもなかった。蓬髪が額を隠していた。それがその当時としては特色と言える。笑顔や愛想が皆無で目を伏せて人と話す癖があった。それを何か企みを持つもののように感じる人もいたに違いない。けれど遠樹にはただの気の弱さの現れとしか思われなかった。なぜなら宏明の元へ遊びに行った折に子どもらに見せる表情も似たようなものだったから。尤も、家の中で彼らに話しかけることは滅多になかったが。塾のない昼間、誠太郎は卓袱台に原稿用紙を広げ何かを書きつけていることが多かった。

 

 遠樹は父親五十一、母の四十三の時の末っ子だった。兄は二つ上、そして二人の姉実喜子、弥栄子とは一回り以上も齢が離れていた。家には父方の伯母りつが同居していた。ある秋口のことである。小浦誠太郎が柚原商店の店頭に立った。りつが店番をしており初老の男二人が店先の板の間で(かく)()ちを()っていた。彼らは市役所勤めの兼業農家で、今でいうサークルで俳句を始めたらしい。りつ伯母は若い頃から律女の名で俳句や短歌をよくし、かつてのモダンガールらしく時折高尚な話題をまじえるものだから、隣人たちから大した教養人のように見なされていた。二人はりつの俳句の話を肴にしながら一杯やっていたのである。

 誠太郎から挨拶され店に来た客でないとわかると、りつは奥のほうに声をかけた。琴恵が割烹着の裾で手を拭きながら出てきた。小浦誠太郎とわかると一瞬意外な顔をしたが、すぐに平生姪っ子のように可愛がっている佳津子の夫に愛想を見せた。

「まあまあ小浦さん、珍しい。久志と遠樹がお世話になって」

「いつも家内がお世話になっております」

 誠太郎も無愛想ながらまともな返事を返した。眼鏡を掛けたややこけた頬に蓬髪がまとわりついていた。両手に南瓜を提げている。兵隊外套を手直ししたような服を着ていた。

「今日はまた、何か」

「いや、今日は青年団があって公民館が使えない日だから、とうさんに将棋でも教わりたいと思いまして」

 遠樹の父は酒屋のとうさんと呼ばれていた。田舎では一人前の壮丁(そうてい)をつかまえて、太郎だの次郎だのといったように下の名を呼び捨てにする風のあった頃である。排他的な地であるにはあったが、同時に少しでもハイカラな空気を帯びた人間には憧れに似た感情を抱き一段高く扱っていたのだろうか。同じ訛りでもほんの少しスマートなアクセントを話す町場からの転校生は、苛められるかあるいは実態以上に祭り上げられるのが常であった。誠太郎も公民館の先生と呼ばれていた。

 光高は将棋が好きで周囲の人々に二段だと嘯いていた。何の二段か定かでないけれどある程度の腕前であるのは確からしかった。後年遠樹も将棋を始めたものの、ある一日を除き父に勝つことは遂にできなかった。晩年の一日のこと、光高が二歩を指しそれと気付かず指し続けた。遠樹は気付いていながら二歩だよと言い出せずどうにか涙を堪えているばかりだった。それが父と彼との最後の対局である。その時遠樹の作ったのが次の俳句。俳人の律女伯母は兄久志がお気に入りだったけど、彼女の影響は遠樹のほうが受けていたらしい。

      春風や棋譜の仕舞ひは父の二歩   ()()

 誠太郎が訪れたその日も将棋仲間の一人が来ていた。光高は人と対して四方山話を面白可笑しく交わす能力を極端に欠いていた。それは見事に遠樹に遺伝している。将棋を指してもその合間に軽快なお喋りを遣り取りする術を持たず、本当の将棋好きでなければすぐにも気づまりになった。その点この日の対局相手はそれにふさわしい人物であったようだ。

 桐山八郎というこの人は、元はこの地の指折りの大地主の分家の末弟に生まれたのが、どんなわけでぐれ始めたのか札付きの暴れ者となった。とうとう地元に居られなくなって国中を暫く放浪した経歴をもっていた。その間タコ部屋にも売られたらしい。酒が入るとその折の武勇伝ともつかぬ凄惨な話を誰かれなく聴かせていたものだ。大道の賭け将棋で渡世した時期もあるという。光高はそんな御仁を相手にいい勝負を戦っていたのである。その時遠樹も盤の傍らに居てさっぱりわからぬながらそれらしい顔つきで盤面を睨んでいた。

 小浦誠太郎が将棋を習いたいといって来訪したと聞くと父もやや怪訝な顔をした。彼はそのような人付き合いとは無縁の人と父の目にも映っていたのだ。店先から居間まで長い土間が続いていた。そこを通り琴恵の案内で誠太郎が顔を覗かせた。光高としては精いっぱいの愛想をもってそれを迎えた。

「まあ、上がってください」

「小浦さんからとっても立派な南瓜いただきましたよ」

 琴恵が誠太郎の背後からそう知らせた。誠太郎は蓬髪をはらりとさせて酒屋のおやじに軽い会釈を送った。例のごとく眸を伏せたままの気弱い仕草である。かつての極道桐山八郎が鋭い眼光をちらりとそちらへ注いだ。

「小浦さんはかなりやるんですか」

 光高が右手の指に駒を挟むような恰好をしながら訊いた。

「いや、駒の動かし方を知っている程度なんです」

 誠太郎は遠樹と対座する位置に尻を下ろしながら応えた。少年は彼に軽く挨拶し相手もそれに手で会釈を切った。

「まあもう少しで勝負がつくからそこで見ていてください」

 光高は座布団の上の尻をもじもじと動かした。緊張した時の癖だ。

「これまでだな、何かいい手があるか」

 遠樹の父が桐山に向かって機嫌の良い声を上げた。相手は未練がましく盤上の駒を凝視していた。やがてほっと息をつくと「うん、これまで」と言った。

 桐山という男はもともとは育ちのいい男らしく酒さえ入らなければ害は無さそうに見える。

「では、小浦さん一局いきますかな」

 桐山と誠太郎が場所を交替した。私は最前より一層の熱心さで駒の動きを追った。光高の将棋は速指しで鳴らした。初めて対戦する相手はその速さに目晦まされ実力を存分に発揮できなかったようだ。けれどその戦法は小浦誠太郎に少し酷であった。駒の動かし方だけ知っている程度というのは謙遜でも何でもなかった。文字通りそのままの意味であることがまもなく判明した。その場の誰もがややあきれ顔をして蓬髪を眺めた。

「まあ、しばらく脇で我々の対局を見ていてください。それが一番の勉強ですから」

 遠樹は再び誠太郎と真向かう形になった。西向きの窓を背にして公民館の先生は座っていた。西日の影になったその面貌は蓬髪の下でひと際陰鬱さを増していた。桐山八郎は誠太郎の指しっぷりを見て俄かに気持ちが緩んだらしい。無頼めいた目の鋭さは解け薄笑いをうかべて誠太郎に軽い慰めの言葉さえ掛けた。

 宏明の父を観察しようという気は無かったが、嫌でも彼の所作が目に入る位置に遠樹は居た。暫くもっともらしい面持ちで盤面に目を凝らしていた誠太郎だが、やがて飽きてきたものと見え欠伸を何とか噛み殺そうとしていた。きょろきょろと部屋の中を見渡し隅の方に分厚い雑誌を見つけると、読んでもいいかと形式的に家の主人の許可を求めた。雑誌を読み始めると宏明の父は二度と盤に目を向けようとはしなかった。

「これまでだな、何かいい手があるか」

 こう言ったのは今度は桐山のほうだった。負けん気の強い光高は諦めきれず唸っている。しかしやがて言った。

「三対二だな、今日は」

「とうさん、二級酒もらってくよ、月末まで付けておいてくれ」

 桐山はサラリーマンであった様子はなく、月末に定まった収入があったとも思えないのだがいつもそのようにして酒を提げていった。

 残照が山の端を照らし始めていた。宏明の父は腰を上げようともせず雑誌に読み耽っている。会話に誘い込む手腕を持たない柚原氏は所在無げに煙草を喫っていた。無口な者同士の気づまりな時間が流れた。遠樹は先年買ったばかりのテレビに手を伸ばした。姉たちは既に嫁いでいたし、友だち付き合いの広い兄久志は遊びからまだ帰っていない。店頭では()()り酒の二人がいい加減酔っぱらっている。番茶を啜りながら相手をするりつ伯母はそろそろくたびれ果てているはずだ。台所に母の立てる俎板の音が小気味良い。

 盛っ切りの賑わいに誘われたのだろうか。光高がその場の静寂を破るように誠太郎に声を掛けた。

「小浦さん、あんた酒の方は?いける口ですか」

「まあ、多少は」

「じゃ、どうです。一献いきましょうかな」

 遠樹の父は急に嬉しそうな顔をした。自身酒好きであった。その時遠樹は誠太郎の表情に意外なものを見ていた。目が笑ったように見えたのである。彼は塾においてもいつも沈んだ顔つきをしていた。暗い陰翳は彼の頬にこびり付いたものかと思われるくらいだった。それが一瞬とはいえほころびたのである。少年はテレビに目を遣りながらも誠太郎を目の隅に盗み見ていたのだ。あんまり可愛気のない子どもであった。

「遠樹、台所から一升瓶持ってこい。コップ二つも」

 宏明の父の口元に一層はっきりした喜びの色が浮かんだ。

 誠太郎は酒好きだった。と言っても、ぐいぐい杯を重ねる酒豪ではなくちびりちびりと味わいながらのほうで、これは遠樹の父の飲み方に似ていた。将棋云々はどうでもよいことで、本当はあの南瓜二つで酒を飲ませてほしいということではなかったか。そう想い巡らしてみると、あの面白みの無い先生も案外可愛らしいものに思われてくる。遠樹ばかりでなく父の脳裏にも同じような想像が泛んだかもしれない。

「私は毎晩、晩酌をやるんだが、たまには相手の欲しい時もあってね。よかったら、これからちょくちょく来てくれませんか。肴は何もないが酒だけは売るほどあるんでね」

 光高が軽口をたたくのは珍しい。誠太郎はジョークと気付かないのか赤い顔に生真面目な皺を刻んでごく慇懃に礼を言った。

 

 旧暦五月の田植えが済むと鎮守様に神楽が奉納された。神社は柚原商店の真向いの細い急坂を登り切った丘の上にあった。宵宮には参道の入り口すなわち坂の下には露店が立ち並んだ。誰もが浮き浮きする特別な日であった。大道店を覗いて歩くのは楽しかった。近在の若者や子供らも混じっていて普段見慣れない顔を見るのも心を浮き立たせた。

 大人たちが神社で酒盛りをし、赤い顔でふらふら下りてくるのもこの日ばかりは嫌な光景ではなかった。柚原家にも当然普段より実入りがあった。父も母も機嫌が良かった。遠樹は宏明と、いつも宏明にくっついている弟の清明と一緒に店を冷やかして歩いた。綿飴など舐めながら。兄は中学に入るといよいよ家には寄り付かず、数多い友だちと遠くまで自転車で遠征していた。

 遠樹が宏明たちと家に戻ると店頭ではまた数人が角打ちのコップを前に置いていた。彼らは板の間の上がり框に腰を掛け伯母りつは板の間に座布団を敷き端座していた。

「おお、遠樹、大きくなったな」

 一人がお愛想を言った。生意気盛りの小学六年はにこりともせずそれに軽く会釈を返した。

 居間には父親の将棋仲間の一人である老人が来ていた。その人はかつての町会議員とかで柚原家の古い馴染みであるらしい。齢とってから始めた将棋のためにわざわざスクーターを駆って隣の大字から光高の元へやってくる。ネクタイは締めないもののいつも背広を着ていた。その襟に何かの功労を顕彰するものなのだろう金バッジを付けていた。

「ああ、末っ子だな。大きくなったな」

 遠樹たちの姿を見て老人はそう言った。少年たちは勝手なことを言いながら隅のテレビのスイッチを入れた。琴恵は彼らに果物の盆を運んだ。

「大きくなりましたな。やっぱり生んでおいて良かったですな、今になってみると」

 老人が光高に何かぼそぼそと言っている。テレビの音に半ばかき消されてはいたけれど遠樹の耳にはそう聞こえた。

「まあまあ、扇田さん」

 光高が次男坊をちらりと見て遮るように老人に言った。その情景、老人の言葉の意味するところは今の遠樹には推測できる。父が五十過ぎ、母が四十過ぎの子を産むにあたっては、当時それなりの決断を要したに相違ない。親類の間では物議を醸したかもしれぬ。二つ上の久志の時でさえおそらくそうだっただろう。高齢で子を生すことの危うさ、経済の面、そして当時の世間の目ということからも自分を流す選択肢は少なくとも皆無でなかったはずと。

 遠樹は大人たちの会話を聞かぬ振りして聞き、素振りを見ぬようにして見ているどこか子どもらしさに欠けた少年だった。その所為か父母以外の誰かに可愛がられた記憶がまるで無い。あどけない眸をもった久志と対蹠的であった。

 その日の夕刻には、学校の先生たちと父兄との懇親会が公民館で開かれることになっていた。教師たちはそれを父兄会のおごりの単なる飲み会と心得ていた。大人たちの多くも酒を飲む好機ととらえていて実に気楽なもののようだった。学区内の各地区持ち回りで主催するのだがその年は遠樹たちの地区の当番だったのだ。

 光高も金バッジの老人との一局を済ませた後その会に出ることになっていた。誠太郎はそういう所は苦手だからと出席を渋っていたが光高の誘いに結局は応じた。時刻になれば誠太郎が柚原を訪れることになっていた。

 幹事役のキョウサントと呼ばれていた人が、二、三人の男たちと一緒に酒を買いに来た。彼が共産党員だったかどうか定かでない。ただ、人が受け流す事柄に何か一言捻ったことを言わねば気の済まない(たち)とみえ、しかもそれが表面的には正論らしく聞こえる。故によけい煙たがられる。そんな人をこの田舎ではキョウサントと呼んだ。

 懇親会の半ば頃、額の抜け上がった三井という先生が酒の追加を買いにきた。素面の時は、先生、先生と奉っていたものが、アルコールがいい加減回って気の大きくなった父兄たちがこの人をお使いに寄越したらしい。このひょろりと背の高い先生は子どもらには恐ろしい教師だった。それが上体をまっすぐ保っていられぬ程に酔っぱらっていた。回した独楽の回転力が尽きようとするあの状態に似ていた。それでもお使いに出向かされたということは、もはや新人とは言えぬこの恐い先生、案外人の好いところがあったのかもしれない。

 光高はその夜、子どもたちが寝静まる時刻になって帰宅した。遠樹は兄と共同で使っている二階の部屋でその足音を聞いた。兄は疲れ切った鼾をかいていた。立て付けの良くない戸を乱暴に揺すぶる音は機嫌の悪い証拠であった。妻に大声で酒を命じる声も聞こえた。家で飲みなおすつもりのようだ。やがて管を巻き始めた。話の中に、婦人会の某だの校長などの名が散らばった。その夜の父の不機嫌の理由を遠樹が知ったのは遥か後年のことである。

 小浦誠太郎の副業の噂を取り沙汰する者は何人かいたらしい。床屋の小冊子のことである。当時の床屋は男たちの小さな社交場でもあった。ことに農閑期には髪を刈ってもらう人よりそういった目的の連中の方が多く屯ろしていた。子どもらは彼らの猥雑な会話が恐ろし気に聞こえ頭をやってもらいながら薄ら寒い思いをした。将棋を指している者、雑誌に読み耽っている人たちはいいほうだ。畳敷きの待合所に上がり込み座布団を真ん中にして花札をしている連中は一種殺気さえ帯びていた。

 その床屋に数年前から、藁半紙でできた小冊子が出回り始めた。小説らしい体裁で、中身は頬を染めるような卑猥な読み物であったという。噂では小浦誠太郎は東京辺りのいかがわしい雑誌に劣情をそそる文章を寄せて副収入としていたということだ。それでも煙草銭に事欠く彼がその雑誌に載せるべき物語の、いわばダイジェスト版を藁半紙に書き連ね、床屋に置かせてもらっていたらしい。床屋ではそれを来た男たちに一回二十円かそこらで回し読みさせていた。今どきのその類の読み物に比べれば他愛無い代物であったようだが当時の若い者たちには甚だ刺激的であったかもしれぬ。固定の読者もいたし中には家でこっそり読みたい男もいて、その場合持ち出し料としてなにがしかの別料金を徴収していたという。

 実入りは誠太郎と床屋との折半になっていた。床屋ではただ場所を提供するだけでその他の物入りは一切ない。黙っていても煙草銭が入ってくるのだからこれくらいけっこうなことはない。時に誠太郎に次の作物を催促したとさえ言われる。二十本入りのゴールデンバット三十円、しんせい四十円の時代の話である。ただ誠太郎は仮にも子供たちの勉強を見てやっている立場から小冊子の出所は口外無用の約束ができていた。

 思い返せば遠樹が宏明の家に遊びに行くと、彼の父は飯台の上に原稿用紙か反故紙を広げ何かを書きつけていた。書くものに興味はなかったがその手にした太めの万年筆が自分の父の物とよく似ていてそちらのほうに目がいったものだ。

 

 光高が不機嫌で帰って来たあの夜から数週間後、公民館の塾は突然閉じられることになった。あの懇親会の席上婦人会の役員をしている某が、誠太郎の(くだん)の小冊子の話を持ち出したのだという。それは学校の教師たちには関わりの無いことで父兄会で取り上げる類のものでなかったはずが、何かのきっかけで話がそちらへ流れていったもののようだ。

 光高も冊子の噂は耳にしていた。しかしそれが誠太郎のものとの証拠は無いし、仮にそうだったとして誰か迷惑を被った人がいるのか。子供らの間でその種のものがはびこっているならばともかく、成人のための読み物が大人たちだけの間で出回っているのだ。とやかく言う筋合いはないだろう。光高はそのように弁護したし大方の人たちは同じような意見だった。皆一笑に付してしまおうとした。

 けれど、清潔な原則論をぶら下げて、何にでも教育を結び付けようとする風潮がいよいよ盛んになろうとする時代でもあった。婦人会の某にこの話題を振られた先生連中は酔いの回った頭で反射的な職業的倫理観に捕われたもののようだ。女性教師の一人も大いに慨嘆して見せた。

 当の誠太郎はおどおどした顔を伏せて、ただコップ酒を傾けるだけであったという。そのふがいなさにも光高は腹を立てていた。

 事は当日の雑談で済まされなかった。その某は町内会の会合にもその話題を持ち出し、このような人物に公民館を使用させて仮にも教育の真似事をさせてよいのかと息巻いた。町会長たちは内心嘆息していたに違いない。彼らは元来こんなことには大らかなのだ。だが理は彼女の側にある。致し方なく公民館を誠太郎に使用させることは打ち切りとなった。

 宏明の一家は再び佳津子の細々とした稼ぎのみに頼ることになった。そしてやはり唐突に遠樹と宏明兄弟との別れの日がやってきた。

 一家はある日の夕刻柚原商店を訪れた。その日例年より早く炬燵が入ったのを遠樹は記憶している。

「長い間お世話になりました。これから出ます」

 佳津子が深々と頭を下げた。誠太郎も蓬髪をまとわりつかせて挨拶をした。大人たちの間では何度かこのことで話がなされていたようだ。佳津子や誠太郎に、どこへ行くのか、何か当てがあるのかと問い詰めているけしきも幾日か前に見聞きした。

「どこへ行くんですか」

 遠樹の父はその日もまた訊ねた。

「とりあえず兄の家に家族を預かってもらおうと思います。私は出稼ぎに行くつもりです」

「じゃあな」と宏明が元気を装って手を振って見せた。弟の清明は風邪でもひいていたのか鼻をぐずぐずさせていた。つい今しがたまで泣いていたのかもしれない。

「まあとにかく上がってください」と遠樹の母が言った。

「送別ということもできないが、一杯やりますかな」

「ありがとうございます。でも最終バスの時刻ですから、これで。どうか皆さん、お達者で。遠樹君、宏明や清明と仲良くしてくれてありがとう。勉強のほうも頑張れよ、久志君にもよろしくな」

 遠樹は店先にサンダル履きのまま佇み何を言ってよいのかわからずただ頷いた。宏明たちに笑顔を向けようとした。兄弟の少し赤毛の髪を夕焼けが照らしていた。その時もその場に兄久志はいなかった。

「これ、荷物になるが持って行ってください」一升瓶の二本セットを光高が差し出した。

「少なくて恥ずかしいけど」琴恵が餞別の袋を手渡した。

「ありがとうございます」

 彼らが立ち去った後遠樹は部屋に入り少しの間泣いた。人嫌いの彼が友のために流した涙なんて後にも先にもそれっきりだった。

 

 成績の良かった久志は都会の大学に進み、故郷を離れたまま早い結婚をし落ち着いてしまった。文字どおり傾きかけた家を継がねばならないのは一番甘やかされた末っ子の遠樹だった。

 彼が二十代半ばを過ぎた頃伯母が亡くなり、その翌年に母が、さらにその八年後父が逝った。母の亡くなった一か月後見合いをし翌年結婚した。女性に縁の無さそうな末っ子を母琴恵は最期まで心配していた。でも二人の息子に恵まれた。

 村山富市が退陣、橋本龍太郎内閣誕生の年だった。ある日遠樹の妻が店先から呼ぶ声がした。その時彼は裏庭で犬小屋を作る準備をしていた。小学五年の長男が友だちから子犬を貰ってきたのである。その子犬を(いちい)の木の根元につないで飼っていた。これから寒さに向かおうとする季節だった。日曜大工の真似事をし始めた時妻が声を掛けたのだ。

 それに応じて出ていってみると、おでこの辺りがやや抜けかかった蓬髪の男がネクタイに背広姿で立っていた。その風貌に懐かしさを覚えたがその懐かしさの由来を思い起こすまで暫く時間を要した。その人が眼鏡を掛けていた所為もあろう。手には箱菓子のような物を提げていた。

「遠樹」とその客は言った。

「宏明」

 相手が口を開く寸前に彼のほうも思い出していたのだ。どちらも大声だった。

「おまえ、全然変わってないな」

 宏明が顔をくしゃくしゃの笑顔にして言った。おまえもなと遠樹は応じたかったのだが、相手はやややつれて見え曖昧に頷くしかなかった。妻に幼なじみであることを告げ客の手をとるように家に上げた。請じ入れたのは仏間だった。仏壇の上に懸けられた伯母と父母の遺影に宏明は目を止めた。

「そうか、おじさんもおばさんも、もう、な」

「うん、親父は五年前、母親は十三年になる」

 宏明は仏前に座り線香を手向けた。妻がお茶を淹れてきて茶碗を置きながら夫に訊いた。

「ビールのほうがよかったかしら」

「ああ、そうだな」と宏明のほうを見た。昼下がりの酒に照れを覚えたんだろう、ふふと懐かしい笑いをした。それが誠太郎を彷彿とさせた。彼の両親のその後を訊こうとして遠樹は声を呑んだ。けして明るい話になりそうもなかったからだ。宏明の口から自然に消息が洩れるのを待とうと思った。

「子どもは何人だ」宏明が訊いた。

「男ばかり二人。おまえのとこは?」

「上が男で下が女。四年生と三年生の年子だ」

「今どこに居るんだ」

 彼は北海道のある町名を答え、そこで小さな食堂をやってるんだと言った。

「日本海に面した漁師町でね、いい所だよ」

 今日はまた突然どうしてと尋ねようと思っていたけれどアルコールが回るにつれそんなことはどうでもよくなった。一緒に遊んだ頃の日暮れ間近の草いきれなどが込み上げてきて、素直にその思い出に浸ろうと心に決めた。遠樹の妻は店の応対をしながら俄かの客の酒の肴作りに忙しくたち働いていた。

「ただいま」

 小学二年の次男の声が聞こえた。妻がそれにお帰りと応えている。

「お父さんのお客様が来てるからちゃんとご挨拶しておいで」

 次男が言いつけられたとおり挨拶した後、二階の自分たちの部屋に上がろうとして遠樹のほうを振り向いた。

「お父さん、イスの家は?」

 イスというのは子犬の名である。遠樹が名付けた。彼が物心ついたかつかないかといった頃家に飼われていた犬の名前でもあった。大きな犬でその背に(またが)って走った記憶があるのだが、本当にそんなことがあったのかあるいは後年見た夢のひとこまに過ぎないのか、もはやわからない。その名の由来さえ憶えていない。

「ああ、板を切りそろえておいたから。二人とも明日の土曜は休みだろ。明日一緒に作ろうな」

 次男が笑顔を残して去る後ろ姿を眺めていた宏明が遠樹に目を移して言った。

「ずっと墓参りに来られなくてね、親父とお袋の墓に。今度こっちに来たのはそのためなんだ」

「おじさんやおばさん、もう亡くなってどれくらい?」

「親父のほうは東京へ出稼ぎに行ってまもなくだった。俺が中学三年だったからもう二十五、六年になるのかな。お袋は丁度十年になる。今住んでる所で最期を迎えたんだけど、二人ともこちらの墓に入ってるよ」

 宏明の家の墓は空襲から焼け残った旧市街の寺にあるらしかった。

「親父の詩集をね、ようやく出すことができたから、それを墓前に供えに来たんだ」

「おじさんの詩集?」

 誠太郎が何か物を書いていたというのは例の床屋の一件で知っていた。けれどそれは卑猥な文章で、彼が詩を書く人だとは初耳であった。その時わずかに頬を染めたのだろう、宏明は相手のその表情から床屋の小冊子のことを連想したようだ。

「親父は何か変なものも書いていたらしいね。さっき散髪屋の前を通りかかったんだけど看板がクロサカとなってたな。そんな名字じゃなかったような気がするが」

「ああ、あそこは後継ぎがいなくてね、同じ商売の親類の次男だか三男に譲ったんだって」

「そうか。親父、煙草銭が欲しくて艶本のようなのを書いてあそこに置かせてもらっていたようだ」

 宏明はビールを舐めるように飲んでいる。運ばれる料理にも殆ど箸をつけない。頬がこけているようだ。誠太郎を想わせる面立ちだが、父親の相貌に青黒い膜を張り付けたようにも見える。

「おまえ、どこも体悪いとこ無いのか」

「うん、どうにか商売のほうも落ち着いてきてね。まあ、これまでには色々とやり繰りが大変だったから少し疲れてはいるな。それにちょっと風邪気味でね」

 自分の顔色の悪さを気取られたと思ったのか言い訳のような返事をしたあと、少し間をおいて続けた。

「親父、詩人になりたかったらしいや。遺品を整理していたら詩の原稿が風呂敷に包まれて出てきてね、その一番底に“いつか詩集になあれ”と書いてあった。藁半紙に万年筆の走り書きでね。誰かの目に触れても触れなくてもどっちでもいいやという風な置き方だったよ」

 遠樹は父親の物によく似た誠太郎の太めの万年筆を思い出した。

「俺はまだ中学生だった。それを見たときは正直、何言ってやがると思ったもんだ。ろくに稼ぎもしなかった甲斐性無しのくせに詩集なんて何事だってね。それならそれなりの金を遺して死ねよ、てるてる坊主じゃあるまいし“なあれ”なんてふざけるなって」

 ビールをひと口啜って宏明はさらに言う。

「でもな、生活が少し落ち着いてきたらこの頃両親のことが思い出されてね。孝行の真似事すらしないうちに死なせてしまった。そう思うと親父のあの走り書きが、何だか雨雪のように思われてきたんだ」

「あめゆき?」

「そう、宮澤賢治の『永訣の朝』って詩を知ってるかい」

「うん、昔小学校だか中学校だか国語の時間習ったやつだろ。“あめゆじゅとてちてけんじゃ”とかいう」

「そうだ。妹のトシが死のうというとき、兄の賢治に雨雪を取ってきてほしいと言うんだ。旅立とうする妹に何もできずにいた兄は、妹の最期の我がままに救われたようにおもてへ飛び出す。

   『死ぬといふいまごろになつて

    わたくしをいつしやうあかるくするために

    こんなさつぱりした雪のひとわんを

    おまへはわたくしにたのんだのだ

    ありがたうわたくしのけなげないもうとよ』

 ここんとこが頭の中で、静かなんだけど木霊みたいに湧いてきてさ」

 俯きながら低く詩を口ずさむ宏明を遠樹は不思議なものを見るように見つめていた。

「親父がのこしていった物を詩集にまとめることにした。こうやって作ってみるとなかなか立派に見えるだろ。中身のほどは俺にはわかりゃしないけど」

 そう言いながら背広の内懐から新書版くらいの薄い詩集を出して見せた。

「これを墓に見せに行ってきたよ。気持ちがすうっと軽くなってね、やっぱりあれは親父の雨雪だったなあって思ったよ」

 遠樹は自分の二親のことを考えていた。両親が齢とってから生まれた子どもだ。父にしてみれば文字通り人生五十年を過ぎてできた末っ子だった。戦後わずかに十年の昔、母体の不安はどれ程のものだったか。その気持ちなど汲み取ることなく、ただ親に、世に甘えて生きてきた。親たちは何か雨雪に当たるものをのこしていっただろうか。それがあるなら今からでも叶えてやりたい衝動に彼はかられた。

「宏明、今日は泊まっていけるんだろ」

「ありがとう、でももう宿を予約してある。墓前に供えてきたこの一冊を遠樹に渡したくて来たんだ。あとで、おじさんとおばさんにも見せてやってくれないか」

 陽が沈もうとしていた。遠い昔、誠太郎が初めて柚原家を訪うた日、逆光となった西日が彼のほっそりした頬に濃い(かげ)を刻んだ光景を遠樹は思い出していた。タクシーを呼んでくれないかと宏明が言った。

 タクシーが来て遠樹と妻そして次男が宏明を見送るためおもてへ出た。夕焼けの中で、彼ら兄弟の赤みがかった髪を想った。一家がこの町を去っていく時の、幼い旋毛(つむじ)を照らしていた残照が(まな)(うら)に浮かんだ。宏明はタクシーに乗り込むと軽く手を挙げ彼らに会釈した。薄くなり始めたおでこの辺りが入日に照らされ穏やかな良い笑顔であった。

 車が走り去ったあとへ部活帰りの長男がとぼとぼ歩いてきた。次男が元気よく小走りするようにさっさと歩くのにこの子はいつも伏し目がちにゆらゆら歩く。家の前にそろって立っている遠樹たちに気付いていない。クリーム色の野球のユニフォームが日暮れの道に長く影を引いていた。そのうち長男がふと立ち止まった。地面を暫く見つめている。

「おい、どうした」

 遠樹が声を掛けるとようやく家族の姿に気付いた。夕日の中でにやりと笑い無言で父を手招きした。歩み寄って見てみると彼が指差しているのはただの水たまりだった。朱色に染まった空が映っている。

「お父さん、こうやってじっと見ていてごらん。なんか空の中へ落っこちていきそうだよ。ちょっとスリルあるね」

 宏明の訪れからひと月ほど経ったある日の昼下がり、遠樹は一通の封書を受け取った。その年初めての霙が降る日であった。差出人の所番地は宏明が辞す時にしたためた彼の住所だった。差出人は小浦葉子とあった。彼の妻である。宏明の死の報せだった。宏明は入院中の身で訪うたのであった。死の間近なのを知ってもいた。父親の願いを叶え三十年の月日を越えて幼なじみと言葉を交わしたかった。そして何より喪失した故里の風の匂いを最期にかぎたかったとあった。

 彼の体が尋常でないのは察していたけれどまさかこれ程の早い死に結び付こうとは思っていなかった。宏明、おまえは死の間際「あめゆじゅ」になりそうな何かを妻や子らにのこしていっただろうか。

 ふいに畑の土の匂いに混じって干された大根の匂いが遠樹を掠めた。母琴恵が家わきの小さな畑に大根を作っていた。大根を干す季節がそろそろやって来ようとしている。その下で宏明兄弟と鬼ごっこやちゃんばらなどもしたな。鼻腔を()ぎるその匂いはあるいは脈絡の無い一瞬の幻であったかもしれぬ。その風を送って寄越したのは宏明、おまえか。霙降る白い空を眺めつつ遠樹は呟いた。

―了―