唐突だけど
自分はわりとたくさんの人に影響を与える言葉を投げかけてきた。
その大半は皮肉めいたものばかりで正直褒められたものではない。
ただ、言われた側にしてみれば
『言われてはじめて気がついた』ってのが素直な反応。
中には『それは言わないでほしかった』ってのも。
人は大きくふたつに分けられる。
それは発信者と受信者だ。
その割合は媒体においても異なるが約8割前後が受信者となる。
つまりは大半が受け手で言われる側。
それら受け手にまわる人たちはその媒体の養分ともなる。
一見すると損みたいに思われるかもしれないが、実は受信者には大きなメリットがある。
それは無責任でいられることだ。
実はこれってかなり大きな要素で。
逆に発信者は発言に大なり小なりの責任が求められるわけだ。
この責任ってのを別の言葉で表現してみると。
それはお金である。
発信してお金をもらってる人には責任が生じる。
ただ、逆を言えばそのような状態にない人は発信者であってもある程度好きなことが言える。
つまり
カネもらってない人は好きなこと言っても良いってことだ。(かなり極論)
ところが実際おもしろいもんで
特に責任がないのに遠慮してる発信者を多く見ることがある。
先日とあるブロガーさんの記事を見た時、それは明らかに読者を意識した記事内容だった。
その方にはその方の台所事情があるのは充分わかるのだが、それって誰のためにあるのだろうか。
読者がその当たり障りない記事を欲しているのか。
その程度の内容であれば別に公式で書かれている方の記事で充分。
昔はその方の記事もおもしろかった。
なぜなら
自分をさらけ出すのに恐れを知らないからだ。
ところがいつしかそれがだんだんできなくなってきた。
きっと周りがそれを許してくれなくなったんだろう。
突出した記事はいろいろなことに抵触する。
一番大きな要因は先述した読者だ。
どこかの真面目でアホな読者が土足でそのブロガーに『あの記事はいかがなものか』と投げかける。
当然、ブロガーもその言葉を無碍(むげ)にできないので『すみません』と謝るだろう。
そこから先、ブログはある意味でその読者の支配下になる。
『今日の記事はとても良かったです』とか『あの記事のあの表現はどうかと思う』など。
書いてる側もいつしか
『今日の記事はお気に召しましたでしょうか…』
と
言葉にはしないまでも、実際はまるで奴隷だ。
自分が思うブログの答えは
『読ませてあげてんだから、ありがたく思え』ってのが正解だと思う。
つまり
読者を意識しだしたらもうそのブログはダメってことになる。
今までブログを何度となく引っ越してきたのはその辺が大きい。
ブログは『読みたいけど読めない』ぐらいが丁度いい。
価値はそうして生まれるわけだし、相手に合わせるってことはブログが濁(にご)るよな。
ホントは別ブログで挙げる予定だったこの記事だけど、問題なさそうだったのでこっちで挙げることにした。
みんなも好きな記事が書ける環境が見つかればいいね。
ではでは
マロン