コンビニでスポーツ新聞の一面を見ると大体同じで。
朝のワイドショーも各局ほぼ同じことを放送している。
出来事の大半を同じ角度から見ていることから当然そうなるのだろうが、そこから感じるのは『脱線することへの恐れ』。
フラット化されることがどこか安心感にもつながり巨大産業はそこを目指す。
それは情報だけに限ったことではない。
気がつけば同じような店舗が軒を連ねる。
コンビニや牛丼屋。
マクドナルドにパチンコ店など。
フランチャイズが世界規模で展開されグローバリゼーションが徐々に広がってきている証拠だ。
そこから生まれる目に見えない定義付けが個人に及ぶ場合もある。
それは流行などの単純なものではなく普遍的なことを指す。
『きすじゅーる』というキスマイの予定を中心に描いていたキス友さんが少し前にブログを辞めることになった。
このブログの存在を知ったのは2年前。
当時は某所で動画をゴリゴリと挙げている時で、彼女のブログはキスマイの番組を確認する上ですごく役に立った。
そこに敬意を評して2014年にはじめた動画もそのブログタイトルから引用したほどだ。
その後、全く別の友人を通してこの『きすじゅーる』の筆者とLINEで繋がることができた。
年に数回ほどだけど、のんびりとやり取りしている。
ブログに自担の番組出演を載せるのは意外と大変で。(※彼女の場合は発売される雑誌などもきちんと調べられてた)
本来ブログの特性として必須となる感情や表現などは当然後回しになる。
飽くなき作業と終わりなき旅路。
目に見えないプレッシャーと戦わなければならない。
これって結構大変。
事前にブログを辞めることは聞いていた。
本来であれば悲しむのだろうが自分は辞めることに賛成だった。
必要性を考えるともったいないのだが負担や重圧を考えるとどこかでその手を置かなければならない。
自分も某所の素材で同じことを経験した。
アクセスはわりと多くて
ワールドクラスで日/平均27万回以上あったので辞めるとなるとそれなりに影響もあった。
負担も重圧も結構大きかった。
こうした境遇はなにかしらパブリックな立ち位置の方ならわかることだろう。
パブリックブログや共有動画などは定義としてその『必要性』を考える。
『みんなの役に立つ』というのは決して悪い動機ではない。
当然『必要とする人』はそこに集まる。
どこかそれはお客さんのような感覚に似ている。
ところがパブリックなことばかりに集中しすぎて
気がつけば必要性のみに特化した作業のような日々になる。(※自分の場合これで睡眠時間が完全に無くなった)
んで
1年ちょっと前かな、いつものようにきすじゅーるを見ようとしたら関西圏のキスマイスケジュール載っていなくて。
他で探してみようと検索したら驚いた。
キスマイのスケジュールを挙げている方がものすごくたくさんいたのだ。
同じように必要性に特化したそのパブリックブログの数々を見て、世の中にあるグローバリゼーションを感じた。
そこに寄せられるコメントも実にシンプルで
『いつもありがとうございます!』とは言うけれど、ホンネは『どこでもあるんじゃね?』ともなる。
吉野家で並盛りを食べるのにどこか似ている。
んで
この必要性の目印になるのがアクセス数。
ブロガーの評価とも言えるのがこいつで必要性をダイレクトに数値化したものだ。
これが実に苦しいもんで。
アクセスが上がるか下がるかで、どこか自分の必要性とスライドしてしまう。
そしてそれは集客と売上に似ている。
読者がお客でアクセスが売上のようになるんだろうが、そもそも必要性がメインだと必ずどこかで息切れする。
一般的なフランチャイズ店舗の場合感情などはあまり考えないが、ブログは個人が時間を割いて書くので当然そこには感情が常に取り繕う。
つまり疲れる。
持って2年、続いて3年といったところだろうか。
最後の方はものすごくストレスにもなるし、いよいよやってる意味もわからなくなる。
そこで
こうしたツラい『グローバリゼーションに似た活動』の解決策を書いていこう。
自分の場合、必要性はまず度外視。
そもそも必要性は書く側に由来していないからだ。(※ここ重要)
ミニョンさんのネイルサロンでは『キスマイネイル』をやってくれる。
ネイルサロンはあるかもしれないけど、キスマイネイルはあまりない。(※探せばあるだろうけど、身近にはない)
つまりこれこそが答えで。
必要性よりもっと大事なことがある。
それは『希少性』だ。
個人でやるブログや活動などで最も必要なことがコレ。
必要性だけのブログや活動だけでは
ぶっちゃけ、もたない。
自分も過去に必要性のみで活動した経緯がある。
半年でボロボロになった。
よってそこからはすべてこの希少性にだけ特化してきた。
もちろん『毒ブログ』もそのひとつ。
オーサリングも希少性に特化してやってるのはわかるかなと思う。
素材は単純で。
意外とモノはモノでしか無い。
つまり素材自体はあんまり価値がなくて、それ自体は永続的なものにはならない。
希少性のメリットをもう一つ。
個人活動に向いている。
必要性を目指すと読者やアクセスを意識してしまう活動となるのだが、そこにグループ化や集団化を目指す流れがある。
組織化されるということはそこを崩さないようにとどんどん窮屈になり。
統制を取ろうとして、最後はお客に嫌われる。
自分はそういう集団活動はまずやらないな。
必要性を目指す活動は崩れるのが確定しているので最初から目指さない。
テキトーに個人で希少性を追い求めるほうが100倍楽しい。
それと意外と大きいのは
真似されない
自分も過去にどれだけいろんなものを奪われたか。
必要性は簡単に真似される。
でも希少性はまず不可能。
誰もできないことをされてるから、やっぱりすごい。
ってか
真似されたらムカつくでしょ。
これを読んでいる人で自分がどっち側にいるのか考えてみてほしい。
お客さん(読者・参加)
必要性側(パブリック)
希少性側(スペシャリスト)
スペシャリストは自分が知る限りキスマイ関連では東京のすぬさんぐらいかな?
情報量・保有量がケタ違い。
ブログ関連だとふじ◎たさんだけかなぁ。
3年もやってるけど、なかなかこうした希少性のある人とは出会えない。
でもそういう人はキラリと光るものがある。
グローバリゼーションが夜空なら、それらはまるで光る星のようだ。
マロン