7月21日 中野ゼロホールにおいて『伊福部昭百年紀Vol2」が開催されるわけですので。
その前に、せっかく来場されるお客様が高音質で聴くわけですから、より音楽を理解できるよう・楽しめるように。
伊福部オタクの頂点を極めた かんかんのうが講義をしてあげようと思う次第で
さて予告編をみて中学生時代の僕が感じたことを書きます。
予告編のメインですが、追い詰められたラドンが不時着のような状況下で、羽ばたきながら街を破壊する場面が中心ですね。
で、この予告編に流れているBGMですが、第一作のゴジラのタイトル曲が流れています。
で、ぼくはこの映画を見る前に予告編集というのが手元にあり。
本編を見る前に、こちらから観たわけですが‥‥‥第一印象が なんてたくましい怪獣なんだろう! でしたわ。
その後本編を見て、内容とのギャップに驚いたわけですが。
まいいや、脱線しちゃおう。
ゴジラのメインタイトルですが、人間側の視点で描かれた曲ということは多くの特撮映画音楽研究家によって書かれています。
しかし、その心理効果という事について誰か言及してないよね?? と思うのであえて持論を書かせていただきます。
ドシラドシラのフレーズですが、有刺鉄条網の製作や特車隊の出撃シーンにも使われているのですが、実はマーチでなく人間の不安・パニック状況の心理を表しているのではないでしょうか?
その根拠として、逃げ惑う人々。。。倒れる消防車などなど、実は人々のパニック部分に非常な効果が上がっているのです。
隅田川を南下したゴジラが海に帰っていくシーンでも、ジェット戦闘機がゴジラに襲い掛かりミサイル攻撃します。その時に早めのテンポで ドシラドシラ と音楽がなりますが、これが逆にゴジラがあまりに強く逞しく、人間の攻撃など無力に等しいと感じる効果を上げているのです。
その効果の結果により実際、ぼくがラドン予告編を見て感じた本編との印象の違いがここに発生したのです。
音楽の与える心理効果って、すごいよね!
さてさて、長い枕も終わり、本論に入りますと。
ラドンの音楽構成ですが、伊福部さんはこれを恐怖映画として捉えたのではないでしょうか?
ラドンのテーマは、後には金管が高らかに鳴る訳ですが 「ラドン」 と題した作品では「ドゴラ」に通じる不安定な楽曲が全体を表現しています。
ここがゴジラと大きく違うところで、ゴジラはあくまでも重厚に力強い原始的テーマが与えられたのに対し、ラドンは(当時)最先端の現代音楽を実験したのではないかと推測する要素が多々見受けられます。
さて、この映画の最後になりますが このようなエンディング曲が流れます。
冒頭に、不安定なラドンのテーマを奏で、それが徐々に伊福部昭の真骨頂である大自然を描くことにより、生まれてきた時代を間違えてしまった親子をあたたかく包んでいながら悲しみを与えます。
本当に、この二匹を葬ることは正しいことだったのでしょうか?
むしろ、核をもてあそんだために太古の恐竜を巨大化させてしまったのは人間ではないでしょうか?
ちょっと、考えなければならない現代の課題かもしれません。
さてさて。
こんな長文にお付き合いくださいましてありがとうございます。
ちなみに、僕はこれを聴きながら
この日記を仕上げたのであった・・・・むふ♪