おひさしぶりです。
最終更新日12日ですもんね・・・
風邪引いてました。
わたくし体温あまり高くないので36.5℃って微熱なんですよね。
だらだら水みたいに感覚なく鼻水垂れ流しの内側からぶん殴られたような頭痛と蒸し暑さと気怠さ。
空腹はあって下痢と吐き気とかはなかったです。
課題もやばいのになかなかこっぴどい風邪引きまして。もう治って1週間も経つのに咳だけがまだ残ってるんですわ。
これが確か7月18日19日20日で火曜日がもともと休みだったので4連休でよかったですわほんと。ただ20日のオープンキャンパスに出られませんで。わたくしの作品飾っていただけてたらしいので見に行きたかった・・・
先生と同期ゼミの友人にも言われたんだけど塗りがデジタルっぽいらしい。まぁデジタルっぽい方のアルコールマーカー作品みて始めたからな。
これ美味かった。ニボシ系のラーメンは大体好きなんだよ。以前紹介した「激ニボ」もよかったのだけれどこっちのほうがニボシみが強いかな。麺は太め。
ってか12日前の画像晒してなかった
課題のテーマが「綴る」(後述)だったんだけどなかなかどうすっか、って感じだったんだけど、とりあえずこれだけ買って帰ったわけ、何か役に立ちそうだったから。立たなかったけど。
課題のレポート刷ったら半年くらいプリンター使っていなかったのと内部が汚れているらしくてまさかの全部薄紫に印刷されるという事態。
黒と紫のグラデーションついてしまったりと何度も刷っているうちにマゼンタがなくなったので買い足してきたんですわ。全部で25枚くらい刷ってな・・・ダメすぎて落書き用になりましたね。
インク買った帰りにかったスイカ味のばかうけ。いやぁ、スイカ。甘すっぱい。もう買わんだろうな。食えないほど不味いワケでもないけど美味しくもない。ネタとしてはいい感じかな。空腹誤魔化すのに食ってました。
中華そばってジャンルのカップ麺は大体美味しと思っています。
特筆すぐほどのクセはないです。不味くもない。美味しいですけれども、本当に特筆することがある美味しさとも違います。無難な美味しさです。
ねこ。虚勢済み。名前知らないけど「満腹丸」って呼んでる。
去勢ってやっぱ共存していくうえで必要なのかもしれないけど、猫と人間は違うからさ、別に他の動物はひたすら子孫を残すだけが能とはいえないけど、生殖能力を絶たれたこの猫は食うこと寝ることだけ。太ったしな。分からない。こんなこと言い出すのもわたくしのエゴなのかもしれないが、・・・いや、人間のエゴが生物の世界を支配するんだろうから、やめておこう。
風邪で寝込んでいるときにたまたまさ、高1くらいのときにまたテニプリ再燃して、その時ちょくちょく覗いていた考察ファンサイトを何となく読んでたらさ、テニプリに再燃してしまった。今回は割とガチなやつwwwテニミュなんかも当時観ていたやつの動画漁ってたりね。2ndを開拓する気はないのだけれど。
丸井ブン太と木手永四郎のダブルスがきっかけかな。この辺単行本で読んでも別に何も気に留めることなかったんだけど、久々にね・・・実はジーニアス10の中に名前がわたくしの本名とかすっている方がいてな。
あと英国式庭球城も見直しましたわ。友人と観に行ったのにメンヘラってたのもあってさ、よく観ていなかった感ある。万有引力に引き攣った笑みが止まらなかったのは覚えてるけど。
ツッコむほうが野暮なのは分かっているのにツッコまずにはいられない。それが、テニプリ。
以下、課題と絵
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前期最後の課題「綴る」。もともとはページネーションということだったのだけれども。
絵で綴るというか、わたくしの場合複数の作品でひとつになる、みたいなイメージでやっていたので。
もともとは普通に本という形式をとろうと思ったのだけれど、イラストレーションというよりグラフィックデザイン寄りの今回の課題の場を借りて、図工というかおそらくやらないであろう立体物作るか、と。
テニスラケット。縫いました。細く薄かったです。ウレタンに画用紙貼っているのですけれども。縫う力で歪みまして。
使っているウレタンより少し集めの、のりつきウレタンで作り直しです。
実はウレタンものりつきウレタンももともとはサンプルの段階で却下だったのですけれども、イラストボードだと固すぎて切り取れず厚みがないので、ウレタンになりました。一度は却下したのにw
全体的にはこうなります。
クマを軸に独立した部品を組み合わせていきます。
着色。
かなり切り抜くのに苦労したハイビスカス。おしべめしべが細かすぎて切り抜けず、無理を押した結果折れまして、出ている部分だけ作り直し貼り付け、裏に爪楊枝で補強してあります。
青い薔薇。
薔薇は塗るの好きなので画用紙1枚全て薔薇で埋めるというのもいいかもしれません。
実は部品の裏側にメモ帳のようなものを貼り付けています。「綴る」の保険なのですが、かなり要素としては小さい。
このメモ帳を小さな画集のようにしようかな、と思いまして。
講評には、ゼミの前の授業の講師のOBOG3名がいらっしゃったのですが、わたくしがその授業の裏授業を取っていたこと、その授業を受けていても出席していない友人らが多かったことで、素性も経歴も名前すら知らない人々から講評に参加されるという事態に陥りました。
第一線で仕事をしているようなのだけれども、もう不愉快になるくらいに現実を突き付けられまして。絵を仕事にしたいのはどれくらいいるか、でほとんど手を挙げるなかわたくしだけバカ正直に「趣味でやっていきたい人」に手を挙げまして。正直でよろしい、大事だからそういうの、とおっしゃられたもののその目はあまり優しいものではなくて、むしろ冷たいというか。気のせいかな、もともとそういう目付きかwww
だからわたくしはカンケーないってワケでもなくて。他の人の講評も聞いているのですけれども、いかに2年半が甘かったか分かりました。どれだけ甘ったるいところにいたのか。厳しく自分を律するつもりなんて微塵もないけどね。わたくしは大学生活至上主義なところあったから。何か学ぶことがあればいいやって。それが将来の職に関わらなくたって。
いやぁ、もう。
すごくダイレクトに、自分の感情とか建前とか抜きにして書くと要するに、「夢を語るのに内容がともなっていない」ってことが言いたかったんだと思う。別に、絵を職にするならああしろこうしろどうしろとかわたくしも多少の年齢の差異はあるにしろ同期に言うつもりないけどなんだよあの態度、とは思う。これがそうしたいと思ってる在り方か?何人がマトモに話聞いてたよ。わたくしがトリだったから、でもわたくしだけ趣味で、土俵が違うから?これはわたくしの余裕でしかないの?余裕とともに劣等感なのかもしれない。この甘ったるい2年半で理解して、そして納得できた、わたくしは技術と性格的に絵を職にするのは向かないっていうこと、全く無駄じゃなかったよ。あと1年半残っているけれど、わたくしは自己への問題提起する創作と向き合っていく中でこの大学生活は全くムダなんかじゃなかった。だから別に趣味でやっていくにしろゼミも変えないし大学も辞めない変えない。
んでまぁわたくしの講評は要約すると「裏にメモがあるのは面白いけど、全体的には綴るというよりレイヤー的な発想だから、やりたいことの方が先走ってしまっているので、少し引いてみてテーマを考えてみるとよい」(ツイッターメモコピペ)
印刷ミスのらくがき。














