今年の4月に陸上自衛隊の部隊が硫黄島での日米合同の戦没者追悼式を伝える投稿で「大東亜戦争最大の激戦地硫黄島」と記述した事がちょっとした議論を呼んだようです。

結局は削除され一部を変更して再投稿されたようですが、他国からクレームがあったわけでもなさそうなのに騒ぎ立てなくてもいいのにというのが僕の感想です。

確かに公式な文章で「大東亜戦争」の呼称はおかしいとは思いますが様々な意見があるにせよ、削除させることは無いのではとは思いました。

政府見解としては「いかなる用語を使用するかは文脈による」としているのですから。「太平洋戦争」他には満州事変を起点とした「十五年戦争」「アジア・太平洋戦争」歴代の総理大臣は「先の大戦」や「過去の戦争」等と表現することが多いようだ。

 

 「私は作家であるせいか『その中』に吸い込まれることはなかった。体験している事だけではなく、その『語られ方』について常に考えているからだ」とイスラエルの作家のエドガル・ケレット氏が語った記事を読んだ。

おそらく『その中』とは襲撃犯もガザ地区の庶民も一束にして憎むという思想の事なのでしょう。背景である「ハマス」を憎む気持ちは否定していないのだと思います。『語られ方』についても国際的に広がりつつあるイスラエル批判に対しても理解できる意見もあるが偏向した狂気を感じる事もあると語っている。氏は選択的共感と呼ぶそうだ。「自分や自分がくみする側の痛みだけを増幅し、意図してそうではない側の痛みを無視する状況だ」という。

このように作家は様々な視点を持ち、断定的な物言いをしないところに共感する部分はあるのですがエドガル氏の視点に解決の糸口があるとも思えないのは辛いところです。政治的解決とはもっと打算的なのだと思うのです。ただ、右とか左ではなくてイスラエルの政治家の中でエドガル氏のような俯瞰した見方も出来て意見する政治家出てくる事を願いたいものです。このまま続けていい訳はないのです。

 

 

 表現の自由は‟諸刃の剣”。私たちはこれからどう向き合っていくべきなのか。

 当然と言えばそうなのだがSNSの不適切な投稿をチェックして削除するコンテンツモデレーターという職業がある事をしりました。AIの自動検知機能が拾った投稿一日80本程度チェックして違反内容別に分類して3本ほど削除して判断に迷うような10本程度は専門部署に送るそうだ。規約は細かく大量で変更点も変化の都度発表される。紹介したのは東南アジアの例で月収20万円台だそうです。

ナイジェリアの例では米企業の委託先で1日9時間。1件55秒で判断するよう指導され、一日約1,000件の投稿を見たという。凄惨な動画を目にする事もあるが秘密保持契約があり家族であっても他言はできない。不眠症とパニック障害を併発して通院したらしい。

コンテンツモデレーターは日本国内にももちろんあって、明らかな違反はAIで対応出来てもAIで難しい判断は人が判断する事も難しい内容になるようです。

今年に入ってアメリカでTikTokの使用制限についての裁判が行われているのは周知の事実ですが、SNSの普及は止められるわけでもないでしょうし、功罪で言ったら功の部分も多いのも事実なのです。アテンション・エコノミーと言われる中、「数の論理」で広告収入を得るというビジネス体系により「刺激の競争空間」が起きてしまっている現状。日本でも今後プラットフォーマーの責任や義務を法的に制定する方向のようです。

僕もSNSを利用している立場として考えたら、もし競争の渦中に巻き込まれたなら僕もコントロールが効かなくなるかもしれない。

ふと、思う。人間社会は自由をコントロールする能力にはまだ幼稚な段階なのかもしれないと。

 

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心を揺さぶったこの一枚#77 「Goodbye Day」

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