アメリカ映画「ノマドランド」を観てきました。

 

 この映画は亡き伴侶と暮らした家を社会事情で手放す事になった主人公60代の女性が車上生活を続けながら似た環境で生きる人達と交流していく姿を描いたストーリーでした。

 アメリカ社会ではグレート・リセッションという今世紀に入ってからの景気後退をきっかけに中間層の社会秩序が少しづつ崩壊していったと言われている。そんな中でワーキャンパー(ワーク+キャンパー)といキャンピングカーで季節労働者として移動しながら生活を始めた者もいたという。映画ではアメリカ大陸の大きなスケールが魅力的に映り、寂しさだけでは語れない自由な生き方にロマンを感じるところがあるのですが現実には終わりの見えない車上生活の厳しい見通しがあるのだろうと思わせるシーンも見えます。物語の舞台でAmazonの大きな配送センターが何度か出てくるのですが個人の無力さを象徴しているかのような印象が残りました。

 日本国内でも車上生活の実態があることはテレビで見たことがあるのですが、キャンピングカーなら数ヶ月程度なら可能だとしても日本の道路事情ではせいぜい乗用車のミニバンで1~2週間が限界かなとも思う。車上泊する場所は限定的で理想的な生活という訳には到底いかないのだなというのが感想でした。

 

 しかし見方を変えると人が衣食住を求めて移動するというのはとても動物的で、ある意味自然な行為ではないかという事なんです。野生動物が食べ物や水を求めて移動していく姿に被るのです。

 

 話の視点を変えますが、僕は子供の頃から虎やヒョウ等の大型猫の生態に非常に興味を持っていて読書やテレビ等で色々と観察するのが好きでした。彼ら(虎など)の生き方には尊敬に近い感情も持っています。それは生きる事に対して貪欲で妥協しない姿勢は人間社会で言えばオリンピックメダリスト級のアスリートと云ったところでしょうか。

 世界的にも環境問題が大きなテーマにもなっています。そんな中でモノの使い捨てに起因するゴミ問題や食品廃棄等生きるという事に対して我々日本人は鈍感になり過ぎていやしないかと思うのです。コロナ禍になって改めて「この先どうして生き抜いていこう」と考える機会が出来たようにも思うのですが、生きる事の尊さ、厳しさ、素晴らしさといった生きている実感を感じる機会が環境的に殆ど皆無だったのかもしれません。この映画は車上生活がどうこうではなく生きる事の価値を改めて考えさせられる映画だったと思うのですが。もし、良ければ皆さんも映画をご覧になってください。

 

 

  虎の体の模様は芸術的だと思う。シンプルでありながら色使いと黒の縦じまは一切の妥協を許さないアートだと思う。ヒョウの狩りこそ格闘芸術だと思う。最強の技だ。ライオンの雄の生き様は雄の本能をまざまざと体現している。強さこそが正義とはある意味ロマンでもあるかなとも思うくらい厳しい世界だ。

 

★次回の配信スケジュールは

5月13日12:00 社会の窓#63生配信トーク

      20:00「Sound scenery(音の風景)」Ⅲ

       &インプロヴィゼーション

 

 

 

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