五感。
『視覚』
『聴覚』
『触覚』
『嗅覚』
『味覚』
からなっている、言わば感じる力。
和太鼓で使用すると思われるものは、
前から3つ、場合によっては4つ。
これらの制約の中で、表現し続け、
演じては伝えたい、
聞き手は、伝えられたいと思うことで、
またその逆もあることによって、感動できる音を生み出していく。
しかし、もしもこの五感を越えるモノが存在するならば、
おるいは、六番目の感性があるならば、
爆発的に表現の幅が広がるのではないだろうか。
5が6に増えるのだから、その増幅は、2割。
相当な割合であることは、間違いない。
過去に、『幽霊と妖怪の違い編』で書いたが、
人は自分たちの理解できない力を、『神』『霊』『妖怪』などと呼んで、
怖れ敬ってきた。
人自身にも、分からない力はたくさんある。
『気』などもその一つ。
気は、テレビなどであるように、外に放出して物を破壊、などというものではなく、
本来、体の内部に働き、生きる為の力、生命本来の力を引き出すためにあるように思う。
これを使って自分の普段使わない瞬発力、爆発力を使う感覚は、
文化、運動を本気でやったことがある人には分かるのではないだろうか。
これは、直接、気合として写り、舞台の出来を根底から左右するものである。
もう一つ、他者と通じ合う感覚。
遠くの人の気配がわかるようなものである。
もちろん誰でも分かると言うわけではなく、
何らかの形で気が触れた人。そして、その波長が同調した人。
そういうものの、気配、思考、バイオリズムなどがなんとなく理解できる感覚。
合ったことがなくても、電気的な出会いで、こういったことが起こることもある。
他の動物は、生きていく為に自然界の中で、
こういった能力を駆使していると言われている。
初めて会って、妙にうまが合う。
こういった現象に近いものがある気がする。
『合う』だけではなく、生理的に受け付けない。と言うのもこの部類だと考えられる。
具体的に、特定の人のメールが入って来るのが事前にわかったり、
体調を崩しているのを察知したり。
双子がこういうものを察し易いというのは、有名な話。
こういった感覚。自分の思いを伝えるのに、応用できないか。
もちろん、こういった相性の人には伝え易いのかも知れない。
だが、舞台は不特定の人たちに伝えるもの。
爆発的に自分の思いを伝える方法。
もちろん太鼓自身もその役割を果たしてくれているものだが、
自分にも、想いを増幅させる能力があれば。
人は、伝える為に文化を手に入れた。
言葉、芸術、科学、宗教。
しかし、目に見える便利なものを得て、それと引き換えに、
内面の生命力や、感受性を失ったような気がしてならない。
どちらも大切なものであることは間違いない。
でも、人がもっとわかりあうために、
この『古き新しき力』必要なのではないだろうか。
和太鼓の力。
人の力。
生命の力。
生きているという事は、
人はもっと分かり合えるもの、分かり合うべきなのではないだろうか。
和太鼓教室おんがくの森代表・坂本新吾
メール ongakunomori1978@gmail.com
電話 08033760407