ぐるぐるノート 〜 中庸、循環、直観、直感と凸と凹 -28ページ目

ぐるぐるノート 〜 中庸、循環、直観、直感と凸と凹

その奥の奥の向こう側へ、立体的に☆☆☆なんてことない思いつきをこのぐるぐるノートに書き留めておきます☆☆☆

小学校の音楽室、作曲家の肖像画を眺めてドキッとしたことがある。


メンデルスゾーンに似てる。

何が??

僕が・・・笑



久しぶりにメンデルスゾーンの肖像画を見た。

やはり顔なのか。

雰囲気なのか。


知人に話したら、大笑い。



「ねぇねぇ、誰に似てるの??♪」

「ん?め、メンデスルゾーン・・・」


自分でもドキッとするということは、

何かあるのかもしれない。

僕と、音楽と、メンデスルゾーン。


春なんですね♪



みなさん、こんばんは。

ちょっと出張に行ってました。

出張中はそこでの仕事に集中しているからか

情報が遮断されるというか

日本でいったい何を残して来たのか

さっぱり忘れています。

これくらいさっぱり忘れていると

日本を発つ前に綺麗さっぱり

身の回りのものに「ありがとうございました」して

捨ててしまうのもいいでしょうね。

私の海外出張というのは

転換ポイントだと思っています。

これだけ日本のことが気にならないのは

次元が違う感じなのでしょうか・・・笑

なんて冗談はさておいて


僕が選ぶ曲は

言い方がどうか分からないけど

魂がいい意味でぶつかり合っている

弾けて上昇しているような雰囲気を

選曲しているつもりです、そう、つ・も・り。


みんなの笑顔が見えるような音楽。


そんな感じで今日も選曲。

これ、題名がいいよね。

う~ん、ヴィヴァ人間!!

この世に生きている限り

愛がある限り

あ~幸せ!!・・・笑


あっ、偶然にも今日は一粒万倍日でした


アハハハハ!偶然って素敵!!








内容のいい悪いは別として、
日本がいろいろな面から圧迫受けていますね。

自動車だったり、お魚さんだったり、捕鯨だったり
他にもありますね。

取捨選択の時期なのかな。


これが9分9里というやつで

そのうちグレンといくのでしょうか。


僕らはその時を迎える為に
せっせせっせと磨きをかけましょうか。


先日、有名な斉藤ひとりさんの言葉、
有名なことばでしょうが、
改めて、あぁそうだなぁ~と思いました。

「ツイている人は どこまでも ツイている」

ありがたいですね。
昨日、日曜日は朝からずっと掃除していました。


今日は15日。

神棚のお榊を取り替えて、
気持ちを新たにしています。

もちろん、お仏壇のお花も取り替えて
仏様、ご先祖様にちゃんとご挨拶。

今月後半もちゃんと顔晴りますので
よろしくお願いします!


神道や仏道などあるでしょうが、
うちは神棚があってお仏壇がある家です(笑。

ただ、そういった道にのめり込んでいるわけではなく、
当初はもっとちゃんとやらなければ!なんて形式的なものを
欲求していたところもありますが、
今は、自分なりにできることをやって、
いつもそばにいてくださることを感じる・・・

なんとなくそんな関係でいるようなものです。


どこそこの神社だから、絶対そこに行って、いくらお布施して
定期的にちゃんとやってという儀式的なものも
生まれながらにして必要な方もいるでしょうが、
もし、本当に自分にそういった必要が迫られれば、
ちゃんとその神社に呼ばれるような仕組みや環境になるでしょうし、
お布施(笑)もしなければいけない状況ならば、
お金という形でちゃんと神社に納める環境にもなるでしょうし、
日々の生活のかなで、循環を目的とした行為がなされることでしょう。

お金はぐるぐると回らないといけませんからね。


私はなんとなく思うのですが、
どこにでも、神様と呼ばれる存在、ご先祖様、仏様と呼ばれる存在はいるし
見守ってくださっていると思います。

それが今の時代、別の次元の違う存在やら、宇宙人やらと
表現できるかもしれません。

でも本当に神様っているのかなって
子供の頃から何度も思ったことがありますが、
神社にお願いしにいったところで、そんなに簡単に願いが叶っては
自分の為にならないのだなと思ったりします。

神社に行って、お願いする場合、お願いは聞いてくれるでしょうが、
その人にとってふさわしい形で反映されると思っています。
だから、願っていたことと全然逆の場合になることもあるでしょうし、
ズバリのこともあるでしょうし。

とにかく、その人の成長にとってふさわしいことが起こるのでしょう。

最近よく神社ではお願いするもんじゃないよ、感謝するんだよって
ようやく神道だけに浸透してきたような・・・笑


そういう意味で宝くじが当たる人って、やはり試されていると思います。
大金を目の前にして、どのように使い循環させるか。
大きい波動が来て、それに耐えられるか?試されているのかなって思います。


先日、たまたまテレビをつけたらとても面白い番組がありました。

いわゆるビフォーアフター系の米国のテレビプログラムなのですが、
所有者のボロボロの車をアレンジしてとてもナイスな車に変身させるというものです。

少しヤラセか?なんて思うところもありますが、とにかく年季の入った車で
テイルランプが外れながら走っています。

今回の依頼主のところに車の修理改造チームがこっそりとお宅訪問すると、
オーマイガット!の連呼。

若くてチャーミングな女性だったのですが、驚きで声が出なくて泣き出して・・・
嬉しかったのでしょうね♪

そして、今まで古かったボロボロの車が、まるで別の車のように
スタイリッシュに変わって・・・

その女性、また、オーマイガッド!の連呼。

またまた泣き出して、おまけに車の修理改造チームの皆さんももらい泣き。
なんだか住宅のビフォーアフターのようなお涙頂戴シーンになっていました。

でも、その依頼主の若い女性、普段から祖母の面倒やら病院送り迎えやら
未婚のようで、とにかく家族の為だけに日々動いていたようでした。

車のシートがマッサージ付きシートになっているの気づき、声が出ず、
連奏CDプレイヤーが装備されているのを知って、こんなの初めてだ!と大喜び♪
どうやら家にもCDプレイヤーさえ無かったそうで・・・。

こうしてテレビを見ていると、

日々、慎ましく、ちゃんと生活している人には、
思いもかけないギフトが舞い降りてくるのでしょうね。

この女性へのギフトは今までのご褒美のような気がしました。

ちゃんとやっている人には、それなりのギフトがちゃんとあるのだと
改めて感じました。

また、テレビというのは、毎日ダラダラ見ていたり、全く見ないということよりも、
何気なくたまたま見るという行為が

実はとても必要な情報があるから、見てみなさい!

というサインなのかもしれませんね。


ここまで私のぐるぐるノート、駄文、お読みくださりありがとうございました。


自由だ自由と言っていても

自由なんていうものはない


自由が欲しい自由が欲しいという

思春期の人たちに言うと

それは彼らの行動に蓋をしてしまうので

言うのはやめよう


でも本当のところ

自由はないと思う


行動の範囲が狭いと認識すれば

自由が欲しいと訴える


人間なんて小さいものだと思う


自由が欲しくて

親元を離れれば気が済む者もいるし

組織に辟易して海外で生活の場を求めて

それで気が済む者もいるし


そのくらいで十分気が済むのである


それでも満足しなければ

地球から飛び出したっていいし

ここが3次元と呼称するのなら

別の異次元へ行けばよいのだし


でもそこまでしないと満足しない人間はいないだろう

人間の行動範囲なんて小さいものだと思う


そんな小さな行動範囲の中にいる人間

本当の自由はないのだなと思う


小さな箱の中が嫌で

別の大きな箱へ移動する

でも箱というか法則というか

そういう中にいることには変わりなく…


つまりは


生かされている


しかも


ちゃんと守られて


このことに気づくのかな



自由を求めている人は


生かされていること

感謝すべきことが実は多いこと


これらのことに気づく

またとないチャンスなのでしょうね



表立ってしている行為の裏には

実は気づくべき光り輝く大事なものがある

もしかしたらそうなのかもしれません




こんな晴れた日には

何しよう!


やること

できること

無限大!


血潮が、細胞が、

騒ぎ出しているよ!!


地球の血潮、細胞・・・

それが、もし、人間なのなら


今日のような晴れの下、

地球自身も

自分の可能性が

無限大である

そんな喜びをかみしめているかもしれない


この無限大の喜びが

有名な詩の『朝のリレー』のように

うまくリレーされるととっても嬉しいな♪
私のブログはノート代わりに
備忘録代わりに
ぐるぐると頭をめぐったものを
できるだけ書き残そうとしているのだけれど。

書きたいことは沢山あるけど、
どうも核心とまではいかないまでも
何か確信したような内容については
時と場合により
どうやらあまり書かないほうがいいらしい。

なんだかそんな気がしています。

別に壁とお話しているわけじゃないですけど、
気づいても心にとどめておくだけにしておいた方が
よい内容もあるようです。

核心、確信、革新・・・
電話でるときなんて言う? ブログネタ:電話でるときなんて言う? 参加中
本文はここから

昔、しりあがり寿さんの漫画が雑誌
Hanako に連載されていたのだけど、

その漫画に、電話に出るシーンがあって、

「もしししし~~ッ!」って言ってたよ。


当時本当にウケて、地下鉄乗っていたときに笑いが止まらなかった。
まぁ、当時高校生の話だから、若気の至りでOKとしよう!・・・?

けれど、『もしししし~~ッ!』 これ絶対流行ると思った。



もしや、もしや?から派生したとかって聞きましたけど、

自分流を表現したければ、電話の出かたは何でもアリではないかと思う。


今は、着信で誰だかわかるのだから、

『モヒモヒ~~?』

だったり、

故意に、

『もしもし、誰?』なんて一瞬相手をヒヤッとさせてみたり。



僕がたまにやっている電話の出かたで、

もちろん着信で誰だか完全にわかっている時に、


鼻をつまんで・・・

『お掛けになった電話は現在使われておりません。』

って言ったり

『ただ今、外出しております、ファックス送信の方は・・・』

なんて鼻をつまみながらしゃべって

相手から「お~~い!!」って言われるのを待っています。

これも心の通い合いの掛け合いとしてはOKだと思います。


街中で、携帯片手に鼻つまみながらしゃべっている男がいたら

多分、俺だ。


でも、鼻をつまんでしゃべっているのは、機械的な音声を出したいという
心情からやっているのだと思うのだけど、実は鼻をつままなくても
そういう無機質な音声は出せるということも判った。

ただ、黒柳徹子の物まねをするときは、鼻をつまんだ仕草をしないと
誰の物まねをやっているのか、瞬時に判断されにくいので要注意だ。


 このくらいの年になってくると、やはり仕事の進め方も変わってくるというか、自分スタンダードのようなものが見えてくる。まあ、年齢に応じてこの『自分スタンダード』の『破壊と挑戦と創造』の繰り返しなのだろうけどね。今は、大枠での『自分スタンダード』形成の時期かな。だから僕らの年ぐらいではまだまだヒヨッ子なのですね。あ、僕はお子ちゃまだから今がその形成時期であって、皆さんはもう経験済みですか?あぁそうですか・・・笑

 新卒や20代の頃は、残業をしていること自体で社会に関係を持っているというか、もう通勤電車に乗っているだけで自分は社会の一員だ、ちょっと勘違いしちゃっている俺がいました。深夜残業やっているときなども、仕事しているぞ!まぁ確かに仕事はしているのだか、そんな行為で仕事している実感を確認していたようなものだ。

 朝まで仕事していると、配属部署にもよるでしょうが、早朝から出社して仕事される部長クラスの方がいたのだけど、その早朝出社しているのを見て、この人出勤早いなーなんて徹夜仕事している自分がそんなことを感じていたりしました。その部長、帰るのが早くて、この人、仕事少ないのかな?なんて余計なことも考えたりしていました。まったく青かったですね、俺は。青は藍より出でて藍より青し・・・当時の部長の仕事に対する姿勢を考えると、この言葉とは全く逆の私がいたのです。僕の青は藍よりにじみ出ているものの、藍より薄くて・・・ダメだこりゃ!なんてね。

可能性に天井はないから

自分で勝手に可能性に蓋を閉じるなよ


仮に天井があったとしてもだよ

その天井はずっと上にあって

そこまで上がれやしないから


だから

自分よりちょっと高いところで

勝手に可能性の蓋を閉じるな


その時点で進まなくなるだろ


死ぬ気でがんばりなさいというのと同じことだよ

実際死ねないし

死なないから


大丈夫

大丈夫