足洗いの儀・・ | 仔羊の讃えうたは

仔羊の讃えうたは

キリスト教に獄中回心した、元・前科者の拙き者です。
獄中回心記を主に、日常生活の中で自分と闘う、人に優しいブログにしたいと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。

ところで、主であり、師であるわたしがあなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない。 

 ヨハネによる福音書 13:14節
 
画像作成テンプレート---コピー---コピー-(2)_01

足を洗うと言う行為はこの場合、その人の最も弱い部分・弱点・汚れた所に関与しなさいと言われると思われます。

時が良くても悪くても、その人の生涯の最後の日まで隣人として継続的な関わりを持つ必要性を説かれてるのだと思えてなりません。
私は、路上生活者の支援を5年余りさせて頂きました。

冬季の寒さが厳しい時期には、路上生活をされている方々に、オニギリや、毛布・カイロ等を渡して歩く。
そうした行為はとても大切ですが、それは単に一過性のものに過ぎず継続性はないのです。

 
それよりも重要視しなくてはならない大切なことは、一日でも早く自立し、どんなに小さくても自分の家を持って頂くことです。
そのためにも、自立支援に向けた相談にあたることを優先していたものです。

 
ボランティアとして活動させて頂いてたのですが、時には過酷な状況に追いやられました。

病気になれば病院まで付き添い、入院すれば面会に行き、話し相手となって差し上げる。
それだけに及ばず、天に召された時は、その方の信じる宗教に合った葬儀が出来るように手配して見送って差し上げるのです。

 
そこには宗教的勧誘は一切有りませんでした。
でも、これこそ、この聖句の説かれる足洗いの重大点ではないかと思うのです。

 
さて、その関連で「仕合せ」となります。
辞書を紐解くと「幸せ」とはトップに書かれていないのはご存知でしょうか。

 
{「仕合せ」を「幸せ」とも書く。}

と、なっています。
先に掲げました、「足洗い」は人に仕えること。
即ち「仕合せ」とは、己を低くして、お互いがお互いを尊重し、仕え合う所で、仕合せが生まれるものと痛切に感じます。
 
極論、いつもいつも、「自分が・自分が」と言っている間は仕合せには決してなれない。
ということです。

 
人間的な「愛」には永続的では有りません。
昨今の全国の離婚率を考えてもそうでしょう。

新婚ホヤホヤで、人の羨む家庭で有っても、お互いに年を重ね皺(しわ)が多くなり、相手の短所ばかり目立って来た時、新婚の時のようにパートナーを愛せますか?

 
それよりも、同じ価値観の上で、お互いに仕え合ってこそ、永遠の仕合せは掴めるのではないでしょうか。
みなさん!! 仕合せになりましょう!!

笑顔で今のひと時を過ごしましょう。
あなたの笑顔こそ、宝なのです。
あなたの笑顔を大切にしてください。