すそ野を開拓する。 | 仔羊の讃えうたは

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キリスト教に獄中回心した、元・前科者の拙き者です。
獄中回心記を主に、日常生活の中で自分と闘う、人に優しいブログにしたいと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。

ジメジメとした暑い日が続きますね。

おまけに、コロナ対策でマスクをするので、その暑さは倍増してしまいます。

私が危惧しているのは、マスク熱中症・・・

あ互いに気を付けたいものです。

 

さて、来月は、私にとって大切にしている、思い出深い月に突入します。

 

今朝、何気に開いた雑記帳の日記に(18年ほど前に拘置所で書いたもの) 

 

「すそ野の開拓!」

 

と、書かれていました。
 

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私が丁度、40歳・・・聖書と出合って直ぐのことです。


それまで、持論として批判ばかり述べて来たキリスト教の真実というものを知りたくて、拘置所内で 教誨師 と呼ばれるプロテスタントの牧師先生に面会を申し込みました。


一時間ほどの僅かな時間で、キリスト教を理解するのは困難でしたが、色々とお話しをさせて頂いている最中、突然、先生は私に質問を投げかけられました。


「富士山があれほど高く、美しいのは何故だか考えたことはありますか?」

私は考えた事がないと答えますと、静かにゆっくりと、こう言われました。

 

「裾野が広く、そこに豊かな自然が存在するからですよ。


貴方の裾野はとても大きく感じます。
でも、その裾野は荒れ放題で、色々なものが混雑して到底、山というものにはなってません。

 現在(いま)の日本と同じように自然環境を破壊し、必要のない箱ものを沢山建てると、到底「山」とは言えないものを感じるのと同じです。
その荒れ放題の裾野をひとつづづ整理して、本来の自分の姿に戻り、今からの試練を乗り越えて行けば、貴方は、私には到底及ばない大きく美しい山となれる可能性を秘めています。

応援しています。

必ず大きく美しい大きな山になって下さいね。」

その言葉がいまでも頭の中に焼き付いていますし、私自身の荒れ放題の裾野を片付けて行く時期が、現在来てるように思えてなりません。


私には大きく美しい山になれると到底申せませんが、少しずつ・・混乱した・・こころの整理をしながら・・神さまと・・聖書の・・み言葉を仰ぎ見ながら、一歩一歩、進んで行きたいと思います。