養護施設へ | 寿 栄 -鎮魂の歌

寿 栄 -鎮魂の歌

養護施設生活&矯正施設生活を総算すると人生の半分以上の割合を占める悪たれ人生を、最後の懲役となる約8年余りの服役生活のなかで、思い描いた文章をまとめています。

その日は突然とやって来た。

相談所にも慣れて、友だちも出来て平穏な日を過ごせるようになった頃、何か荷物を運ばれるように、「養護施設移送」というラベルを背中に貼られ、否応無しに、T市に在る養護施設まで運ばれた。

お世話になった先生や、友だちとの挨拶も出来ないまま、「君は今日、養護施設へ行くから」と、急に告げられ、容赦なく連行されるのだから、荷物みたいなものだった。

 

施設に着くと、男性指導員が待ち構えたように、「今日から此処で住むんじゃけん、先生たちの言うことは良く聞かんといけんぞ!」と、言われた。

その指導員の名前は、間名と言い、私の寝場所となる部屋までの道中、施設内のことを紹介されたが、やたらと規則の言葉を連発するので、何か違和感を覚えたように思う。

部屋に着くと担当保母(保育士)である、高齢女性の木村先生が笑顔で私を迎え入れてくれた。

この木村先生は、私が出園する当日まで、本当に色々とお世話になった先生である。

「この部屋には、あと5人居るんよ。未だ学校から帰って来んけん、幼児さんの部屋でも行って、遊んでたらいいよ。」と、言われ、幼児さんの部屋に連れて行かれた。

ちょっとした大部屋で、2.30人の幼児さんたちが居たろうか。

「兄ちゃん!」と、より縋って来る幼児さんと戯れ合う時間はあっという間に過ぎて、下校して来た園児たちの仲間の群れに入って行った。

 

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そのなかで特に、私と同じ部屋だという同級生のヨシヤとタカギは、私が数年後、施設を移されるまで大の仲良し三人組(後に、バカたれ三兄弟と呼ばれるようになっていた。)となった。

 

「これから何が起きるのか。これから先どうなるのか。」

何かときめいたもの、冒険心にも似た感情を抱いたが、なぜか不安はなかったように思う。

 ただ、真名指導員が執拗に言っていた「規則」という言葉が頭に残り、規則って何だろう、、、とばかり考えていたのが本音である。

 

 

付記

 規則

 日常生活のなかで守るという当然といえば当然のもので、例えば「廊下は走らない。」「外から帰ったらうがいをする。」など簡単なものではあったが、規則自体の意味が分からない私には、結構難しいものであった。

 

(収容児童・生徒数)

下は3歳児くらいから、上は、中学3年生まで、約百数名が収容されていた。

 

 (日課)

6時 起床

6時10〜25分 掃除

6時30分〜 朝食(食事が済んだ者から登        校準備・登校)

17時 点呼

17時10分〜25分 掃除

17時30分〜 夕食

18時〜19時 学習

19時〜21時 自由時間(テレビ視聴)

21時〜 就寝 (幼児さんは20時就寝)

 

基本、収容者同士の呼び名は、兄ちゃん、姉ちゃんで統一されていたが、同級生は、名前、下級生には、名前の呼び捨てだった。