「復讐するは我にあり」の本当の意味 | おひとりさま満喫♪毎日のちいさなこと

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50代後半、おひとりさま生活を楽しんで、日々の色々なことを書きとめてます。

あっという間に終わってしまいましたが、

楽しみに観ていたNHKのドラマ「一橋桐子の犯罪日記」

 

これが面白かったので、原田ひ香さんの原作を読んでみようと、

図書館で原田さんの作品をいくつか予約しました。

お目当ての桐子さんのはまだ順番待ち中ですが、

別の作品「復讐屋 成海慶介の事件簿」が先に届きました。

これもね、面白かったです。

ドラマにしやすそうな感じ。

 

でも、タイトルからのイメージと、内容はまったく違ってました。

イメージでは、警察が逮捕できないような事件の個人的な復讐を請け負って、

真の悪者をやっつけまくる・・・というもの。

 

実際には、復讐しないの。

復讐屋だけど。

 

復習しないのに、そのターゲットは他の何らかの原因で、

勝手に不幸になってるの。

 

そこで「復讐するは我にあり」という言葉が出てくる。

 

なんか映画?かなにかがあったよね。

 

想像では、

他の誰でもない「自分が」復讐するぞ!という決意の言葉のように受け止めてた。

自分こそ、復讐する権利があるのだと。

 

でも、本来のこの言葉の「我」は私たちではなく、「神」のことなんですって。

 

復讐したいと思うほど憎い人がいても、自分でやるな。

自分と自分の周りの人を汚す。必ず後悔する。

復讐は、神様がしてくださること。

 

だから、自分自身は復讐の念は捨て、

心穏やかに暮らして、仕返しではなく善行をしなさい、

悪行は神様に任せなさい、ということらしいです。

 

そうかぁ~そういうことかぁ~!

 

だよね。

そう思う。

 

この間、まだこの本を読む前、

前職でつながりのあったお取引先の方と会う機会があり、

食事をしました。

その方は50代前半の男性。

私が関わっていた時も、部下の女性から敬遠され気味だったけど、

今回「パワハラの疑いあり」ということで、

要職を外されて降格となり、全く関係ない職場に異動させられるとのこと。

 

彼は「(訴えた彼女に)どう仕返ししたらいいですかね?」と聞いてくる。

 

私は「相手は変わらないし、仕返しなんてするもんじゃない。

そんなことは関係なく、その人とは関わらず、

新しい職場で頑張ってみればいい。」

と言ったのですが、「そんな冷たい人だったのか」と言われました。

「自分はこんなにつらいのに」と。

 

その時にこの言葉を知っていれば、

もっとうまく話せたかもしれません。

でもきっと彼は「聞く耳持たず」だったな・・・汗

 

そんな彼は今でも悶々と、

見当違いな恨みつらみを募らせ、

どう仕返しをしようかと練っているのでしょうか。

 

そんな時間はもったいない。

そんなことに心を砕くのももったいない。

 

気づいてくれるのを待つばかりです。