あっという間に終わってしまいましたが、
楽しみに観ていたNHKのドラマ「一橋桐子の犯罪日記」
これが面白かったので、原田ひ香さんの原作を読んでみようと、
図書館で原田さんの作品をいくつか予約しました。
お目当ての桐子さんのはまだ順番待ち中ですが、
別の作品「復讐屋 成海慶介の事件簿」が先に届きました。
これもね、面白かったです。
ドラマにしやすそうな感じ。
でも、タイトルからのイメージと、内容はまったく違ってました。
イメージでは、警察が逮捕できないような事件の個人的な復讐を請け負って、
真の悪者をやっつけまくる・・・というもの。
実際には、復讐しないの。
復讐屋だけど。
復習しないのに、そのターゲットは他の何らかの原因で、
勝手に不幸になってるの。
そこで「復讐するは我にあり」という言葉が出てくる。
なんか映画?かなにかがあったよね。
想像では、
他の誰でもない「自分が」復讐するぞ!という決意の言葉のように受け止めてた。
自分こそ、復讐する権利があるのだと。
でも、本来のこの言葉の「我」は私たちではなく、「神」のことなんですって。
復讐したいと思うほど憎い人がいても、自分でやるな。
自分と自分の周りの人を汚す。必ず後悔する。
復讐は、神様がしてくださること。
だから、自分自身は復讐の念は捨て、
心穏やかに暮らして、仕返しではなく善行をしなさい、
悪行は神様に任せなさい、ということらしいです。
そうかぁ~そういうことかぁ~!
だよね。
そう思う。
この間、まだこの本を読む前、
前職でつながりのあったお取引先の方と会う機会があり、
食事をしました。
その方は50代前半の男性。
私が関わっていた時も、部下の女性から敬遠され気味だったけど、
今回「パワハラの疑いあり」ということで、
要職を外されて降格となり、全く関係ない職場に異動させられるとのこと。
彼は「(訴えた彼女に)どう仕返ししたらいいですかね?」と聞いてくる。
私は「相手は変わらないし、仕返しなんてするもんじゃない。
そんなことは関係なく、その人とは関わらず、
新しい職場で頑張ってみればいい。」
と言ったのですが、「そんな冷たい人だったのか」と言われました。
「自分はこんなにつらいのに」と。
その時にこの言葉を知っていれば、
もっとうまく話せたかもしれません。
でもきっと彼は「聞く耳持たず」だったな・・・
そんな彼は今でも悶々と、
見当違いな恨みつらみを募らせ、
どう仕返しをしようかと練っているのでしょうか。
そんな時間はもったいない。
そんなことに心を砕くのももったいない。
気づいてくれるのを待つばかりです。