■三毒追放って聞いたことがあると思います。
三毒とは、ねたみ、怒り、愚痴のことですが、
どれもネガティブ思考の要因であり、決して良い思考とな言えません。
誰かをねたんだところで、何も生み出されませんし、
何かに怒ったからと言って、その事象が変わるわけでもなく、
愚痴を言ったところで、残るのは寂しい気持ちだけでしょう。
とは言っても、
三毒全てを表現せず自分の中に抑え込むのは、
逆効果になること間違いなしです。
逆効果とは、こころが病んでしまうこと。
■悟りを開いた人でない限り、
誰だって、ねたむし怒るし愚痴は言いたくなるものです。
人生の目標を仏さまになることにするならば、
ねたむことを止め、怒ることをせず、愚痴を言わないよう
努力する必要があるでしょう。
でも、
あのマザー・テレサでさえ愚痴を言ったとか。
要は、人間にとって三毒を追放することなど、
不可能と言えるわけです。
まぁ、常に三毒出しっぱなしよりは全然良いですけどね。
■ねたむことも
怒ることも
愚痴ることも
視点を変えれば大切なことなのかも知れません。
特に、愚痴ることは心を平穏にするために
重要なことだと思います。
あまり、ねたまない人でも、怒らない人でも
愚痴だけは、他の2つより多く言ってしまう人っているでしょう。
そんな愚痴をこころに押しとどめていたら、
こころが休まることはありません。
■ですから、
愚痴は、思う存分出しちゃうに限るわけです。
大切なのは、
吐き出す場所を見極めること。
人って自分の正当性を認めて欲しいのですよね。
例え、第三者から見て正しくないと思うことでも正当性を認めて欲しい
と思うもの。
ですから、どんな人だって愚痴はでる。
だからこそ、吐き出す場所が必要。
■では、どんな場所が良いのか。
先にも言いました通り、正当性を認めて欲しいのですから、
先ずは、自分の愚痴を何も言わず聞いてくれる人がいい。
正当性を主張すると言っても悪い意味ではなく、
正しいことを言っている人も居ますし、
理不尽な仕打ちを受けている人も居るのですから誤解ないように。
自分の経験上、聞く側の立場として大切なのは、
決して否定しないことと解決策を言わないことです。
多くの人は否定しないこと解決策を言わないことについて、
たぶんご存知だと思いますが、実際出来ている人は少ないと思うのです。
それは、
力になってあげたいと言う気持ちと、
自分だったらこうする
と言う主張が出てしまうからなのでしょう。
それと、
じっと話を聞くのって意外と大変だったりするものですからね。
(私は、聞くの好きなので苦になりません)
■愚痴を思う存分出せば、気分は楽になりますが、
一番避けたいのが愚痴の上塗りです。
相手が言ったからその分自分も言う。
こんな負のスパイラルになったら最悪。
私が心掛けているのは、
相手が愚痴を言い始めたら聞く側に徹し、
その愚痴を聞くことによって、別の角度から物事を見る
そんな手助けが出来たらいいなと思っています。
とは言っても、
ついつい、口が出ちゃいますが・・・。
最後まで読んで頂きありがとうございました。
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No.1972