映画「ソウルの春」(3)ー 12・12の背景 | 一松書院のブログ

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 映画「ソウルの春」の元ネタの12・12クーデターの背景について整理しておこう。

 

  朴正煕暗殺事件と鄭昇和参謀総長

 12・12クーデターが起きる1ヶ月半前の10月26日夜に起きた朴正煕パクチョンヒ大統領と警護室長車智澈チャジチョルがKCIA部長金載圭キムジェギュに撃たれた事件。その事件現場となった青瓦台のそばのKCIA施設「安家アンガ」は、今は「ムグンファ公園」になっていて当時の建物はない。事件の当日には、金載圭と約束があった鄭昇和チョンスンファ陸軍参謀総長が安家の本館に来ていた。金載圭は、나棟の宴会場で朴正煕らを銃撃したあと、金載圭が撃ったことをまだ知らない鄭昇和を車に同乗させて現場を離れ、陸軍本部に向かった。助手席には金載圭の秘書官朴興柱パクフンジュが乗っていた。

 


 

 映画「KCIA 南山の部長たち」では、この日、陸軍参謀総長のKCIA部長訪問から、銃撃後に車で事件現場から離れるところをこのように描いている。

 

 

 朴正煕大統領の死去の報告を受けて、すぐに崔圭夏チェギュハ国務総理が大統領権限代行となり、鄭昇和陸軍参謀総長を戒厳司令官として戒厳令を宣布した。大統領殺害事件の捜査本部長には保安司令官の全斗煥チョンドゥファンが任命された。金載圭は、銃撃現場にいた金圭元キムゲウォンの証言などから大統領を銃撃したことが発覚して逮捕された。その後の調べで、鄭昇和は大統領の銃撃と殺害には関与していないとされたのだが…

 

 12月12日のクーデターは、大統領銃撃現場近くにいた鄭昇和戒厳司令官の逮捕を口実に引き起こされた。10月26日の事件当日の鄭昇和の動きをむし返して、それを逮捕容疑として利用したのである。

 

  士官学校とハナ会

 鄭昇和は、大韓民国建国前のアメリカ軍政下の1947年に高校を卒業し、警備士官学校(陸軍士官学校の前身)に入学、6ヶ月の速成課程を経て士官に任官した。1978年5月に大将となり参謀総長に就任した。

 

 陸軍士官学校が4年課程になるのは朝鮮戦争中の1951年入学の11期生から。大学と同じ4年課程、しかも学費が無料で卒業後は軍のキャリアが保証されている士官学校には優秀な学生が集まり、一流大学と肩を並べる高等教育機関とされた。卒業生は国家をリードするエリート士官を自認した。全斗煥や盧泰愚ノテウは、その4年課程になった士官学校の最初の卒業生だった。

 

 陸士11期生の慶尚北道キョンサンブクドの同郷出身者は、軍の人事や処遇に関して情報交換し親睦をはかることを目的とする組織を作った。これが拡大して「ハナ会」となる。「ハナ会」は、朴正煕の1961年の5・16クーデターの時に陸軍士官学校の学生を動員して市街パレードを敢行するのにも一役買った。この「エリート士官学生たちの支持アピール」が、「反乱」を「革命」と称するようになる転機とされた。

 

(音声なし)

 

 「ハナ会」は、士官学校出の特定のグループが内輪で親睦を図る集まりだったが、次第に勢力を拡大して軍内部の人事や配置にまで影響力を行使する「結社」の性格を帯びていった。

 

 ところで、軍部隊の指揮官となる士官(将校)は、全てが士官学校出身というわけではない。各種の軍事学校の幹部教育でも士官を養成をする。1969年まで、幹部教育を受けて将校になる「甲種将校カプチョンチャンギョ」という制度があった。この「甲種将校」出身の将校と、陸士出のエリート将校との間には軋轢があった。尉官(少尉・中尉・大尉)、佐官(少領・中領・大領)、そして選ばれたものが将官(准将・少将・中将・大将)になる。准将以上には星がつく。制服や制帽、そして公用車のナンバープレートにも星が表示される。

 

大将は「フォー・スター(포스타)」

 

 大領(大佐)から「スター」の准将に上がるところに関門があり、そこでも「エリート将校」と「甲種将校」との間のせめぎ合いがあった。

 

 大統領銃撃事件で金載圭に撃たれて死んだ警護室長車智澈は、12期の陸軍士官学校を受験したが不合格。やむなく砲兵学校を出て「甲種将校」となった。しかし、スターが付かないまま中領(中佐)で退役して国会議員に転じた。1974年に大統領夫人陸英修ユギョンスが撃たれて死亡した文世光ムンセグァン事件が起きると、見込まれて警護室長に抜擢された。車智澈は青瓦台警護室長の権限を強化して首都警備司令部の指揮権の一部を警護室長に移し、30警備団への影響力を強めた。戦車も配置した。

 

 1979年の10月に朴正煕と車智澈とを銃撃した金載圭は、朴正煕よりも9歳年下だが、解放後の警備士官学校では朴正煕と同期だった。三つ星の中将(쓰리스타)で退役し大統領の側近となり、KCIAの部長になった。

 

 映画「南山の部長たち」では、KCIA部長と大統領警護室長との口論の場面で、「いいな?クァク中佐・・!」と、軍隊時代の階級差でトドメを刺す場面がある。

 

 

 このように、スターの付く将官になるか/なれないかは、軍を退いた後の処遇や人間関係にも大きく影響する。だから、スター目前の佐官クラスの部隊指揮官たちは、「ハナ会」のメンバーでなくとも、人事に強い影響力を持つ「ハナ会」には逆らえないということも起きた。

 

 鄭昇和が首都警備司令官に登用した張泰琓チャンテワン少将も陸軍行政総合学校出身の「甲種将校」だった。1979年11月に司令官に就任した時、首都警備司令部の部隊、特に青瓦台チョンワデ直近の30警備団には「ハナ会」のメンバーが少なくなかった。士官学校出ではなく中佐止まりだった車智澈が、スターやスター目前のエリート士官たちを従えて悦にいっていたからだ。

 

全斗煥と盧泰愚の襟章と帽子に星が二つ 少将(투스타)である

 

 その結果、全斗煥がクーデターを起こすと、多くの首都ソウルの中核部隊の指揮官が「反乱軍」側に付くことになった。朴正煕大統領と一緒に殺されてしまった車智澈の置き土産の軍の人事が、クーデター勢力側に有利に働いたのだ。

 

赤枠が「反乱軍」側についた部隊指揮官
KBS 2023年4月30日放送「歴史ジャーナル あの日」より

 

映画「ソウルの春」(4)