【こぼれ話】出所儀礼 豆腐とパガジと塩 | 一松書院のブログ

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 植民地時代の刑務所の話を調べていて思い出したのが、刑期満了とか恩赦の釈放で刑務所から出てきたときに食べるという豆腐。韓国のテレビドラマや映画では、繰り返し出てくるのでよく知られている。

 私が今でも印象に残っているのは、「オアシス」のこの場面のソル・ギョング。  

오아시스 (2002-08)

 そして、「親切なクムジャさん」の冒頭のこの場面もインパクトがあった。

친절한 금자씨 (2005-07)

 

 NAVERの新聞記事検索でこんな記事が見つかった。

時代とともに変わる「出所儀礼」
クリスマス仮釈放
刑務所前の珍風景
パガジがないのでかわりに卵を踏む

 クリスマスを迎え、全国30以上の刑務所から1300人の時局囚と一般囚とが一斉に特別仮釈放された。24日の午前、各刑務所の正門前では、「出所通過儀礼」でひとしきり騒ぎが起きていた。
 もともとの「出所通過儀礼」では、出所者の家族が刑務所の正門前で、まず出所者の体に粗塩を振りまき、出所者が「厄払いが終わった」とパガジを踏み潰して豆腐を食べる。
 これにも「きまり」があって、粗塩は3回振りかけ、パガジは足を交互に替えながら3回踏みつけ、豆腐は3回切って食べるという3の原則の要領を必ず守らなければならない。
 このような通過儀礼の伝統について、ソウル拘置所の金インソム副所長(55)は、朝鮮時代の義禁府の時代からあったようだ」という。
 その由来は、パガジを踏み潰す「儀礼」は、葬儀の時に棺を安置した部屋の敷居の上のパガジを砕いて厄払いをすることから始まったとソウル拘置所のある看守はいう。塩をまくのもこれと同じ厄払い。豆腐は、86年に刑務所の食事が改善される前の「豆飯」で過ごした受刑者に、苦労したという意味を込めて与えたもの。
 しかし、このやり方も最近大きく変わった。
 パガジが手に入りにくくなって、最近では出所者のほとんどが生卵を3つ潰すことになっていて、豆腐は飲み込まずに吐き出す。
 こうしたことから、各刑務所の周辺の飲食店では、卵と塩、豆腐をセットにして袋詰めしたものを置いている。
 ソウル拘置所の正門を担当する黃ヒョンチョル(23)氏は、「一回出所があると、その後での豆腐などの片付けが大変」と語っている。

 1993年のこの記事では、「塩」と「パガジ」と「豆腐」の3種類で厄払いをするのが出所の際の「定番」とされている。瓢箪ひょうたんでできていた本物のパガジは手に入らなくなったので—プラスチック製になった—、代りに卵を潰して代用するとある。

 ただ、冒頭の映像でもそうだが、「刑務所を出所すると豆腐」というように、豆腐だけが突出しているように思える。あんまり塩とかパガジあるいは卵というのは印象にない。

 

 もうちょっと遡った1962年の記事も出てきた。1962年8月15日の『京郷新聞』である。

光復の光明は獄窓にも

子供をおんぶした婦女など
家族と抱き合い、声をからし
399人歓喜の一歩

 8.15解放17周年を迎え、特別赦免の恩典を受けた399人の模範囚は、15日朝、全国19の刑務所から一斉に出所して自由の身になった。
 この日に出所した人々は、初犯であるか、60歳以上の高齢者、または子供のいる婦女子が多かった。この他にも、この日151人の模範囚が減刑された。
 15日朝10時、ソウル刑務所の門を出た李奉玄(48仮名・背任罪)氏は、「司法上の救済がない私も行政上の恩典で満期日(9月1日)より前に出られることになり、政府当局に感謝する」と語った。
 この日、刑務所の正門前には、早朝から数百人の家族が殺到し、家族や友人たちが一人ずつ出所してくるごとに走り寄って、豆腐を食べさせたり、塩を振りかけ、卵やパガジを地面に置いて踏み潰すなどしていた。

 この写真に写っている正門は、西大門刑務所とは形状が異なる。孔徳にあった麻浦矯導所(旧京城監獄)かとも思うがはっきりしない。

 

孔徳の京城監獄正門とその設計図(部分)

 この『京郷新聞』の記事でも「塩」「豆腐」「パガジもしくは卵」というのが出てくる。どうも、パガジがなくなったから卵で代用というわけでもなさそうだ。

 それにしても、1962年段階で、刑務所から出てきたらこうするものという情報が広く定着していたのは興味深い。

 

 尹興吉の「長雨」(『文学と知性』1973年)にもこのような場面が出てくる。

 父はまる一週間ぶりにやっと解放された。食べ物を差し入れするために、その間、街まで何度となく往来していた母が、表門の敷居をまたごうとする父の頭上に、続けざまに塩を振りかけながら涙を流した。引き立てられる前とは別人のように、父の顔はげっそりしていた。目の縁は落ちこぼみ、かわりに頬骨だけ目にみえて尖り、まるで作りたてのキャラコのように、顔色はいいようもないくらい青白くやつれて見えた。僕の目をさらにそらさせたのは、足を踏み出すたびに、右足がびっこを引き、ひどく苦しそうな様子をすることであった。家に戻ってきた最初の夜、父は当時の村ではなかなか求められなかった豆腐を、一度に三丁も生のまま食べてしまった。もともと口の重い方だったが、その日から父はますます口数が少なくなった。
 (姜舜訳:尹興吉『長雨』東京新聞出版局 1979年)

 ここでも塩と豆腐が出てくる。ただ、豆腐3丁食べたのは、厄払いというより腹が減っていたからのような気もするが…。

 

 プルムウォン食品の技術研究所豆腐研究チーム長ユ・ヨンギ氏によると、「豆腐は、タンパク質、脂肪、炭水化物、必須アミノ酸、脳細胞の代謝機能を促進させ、不安解消効果があるギャバ(GABA)という成分が入っている。豆の繊維は、水に溶けないが、豆腐は水溶性で体内吸収がよくなり、拘禁生活で低下した体力を短時間で回復させることができる」という。

 そういえば、比叡山の千日回峰の修行では、豆腐とじゃがいもとうどんを食べていた。

 

 「出所儀礼」は、韓国・朝鮮社会でかなり早い時期から行われていたということが推測される。ユ・ヨンギ氏は、日本の植民地支配下で、刑務所から出所した時に豆腐を食べさせる習慣が始まったというが、特に資料は提示されていない。ソウル拘置所の副署長がいうように朝鮮王朝時代からなのか。

 ということで、『朝鮮王朝実録』サイトで検索してみた。

 さらに『承政院日記』サイトでも。

 

 検索結果は、どちらも0件。まぁそうだろう。こんな単純なand検索じゃ無理だ。

 検索にひっかからなかったからといって、なかったということではないが。

 

 日本の植民地支配下で、西大門監獄の前や孔徳の京城監獄の前で塩を振りまいたり、パガジを踏み潰していたり、豆腐を食べていたりしたんじゃないかな、と想像を巡らせている。ありそうな気がしてきた。