天路歴程③~教会を商売の道具にすること~ | イエス・キリストの御名を賛美します

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唯一の救い主である、イエス・キリストの愛を知ってほしい。
聖書の奥義を知ってほしい。
そして、選択して欲しい。


今夜も、ジョン・バニヤン「天路歴程」から紹介しよう。

Mr. By-Ends(私心者)という者とその仲間、Mr. HOLD-THE-WORLD(現世執着氏), Mr. MONEY-LOVE(愛銭氏), and Mr. SAVE-ALL(物惜氏)が主人公のChrstianとその仲間、Hopeful(有望者)に問答を投げかけた時の話である。


Mr. By-Ends(私心者)
例えば、一人の人が、牧師でも商人でも他の者でも、この世のよい祝福を得る機会を目前に持っているとする。・・・
Mr. MONEY-LOVE(愛銭氏)
かりに牧師がりっぱな人でありながらほんの少ししか俸給を受けていないとする。そして遥かにゆたかな俸給を望んでいて、今やそれを手に入れる機会はあるが、もっと勉強し、もっと数多く熱心に説教し、また人々の気質が要求する以上は、多少自分の主義を変えなければ手に入らないとする。
・・・
(彼が召命を受けているなら)そうやったって構わない。その理由は次の通りだ。
1.一層大きな俸給が神慮によって目前に置かれた以上、それを望むのは正当だ。良心のために疑問などおこさないでね。
2.のみならず、そういう俸給を欲する心から彼は一層勉強し、一層熱心な説教家になり、こうして一層よい人間になる。・・それは神の御心だ。
3.自分の主義を多少曲げて、その気質に従うことについて言えば、これは次のことを証明する。
 (1)彼に克己心があること。
 (2)優しくて人を引き付ける態度があること。
 (1)従って、聖職に一層適していること。
4.結論は、少ない俸給を大きな俸給と取り替える牧師は、そうしたからと言って欲張りだと判断してはならない。いや寧ろ、それによって才能と勤勉とを増進した以上、彼は自分の召命を励み、授けられた善を成す機会を追求する者として考えるべきである。

この答えは大体極めて穏健で好都合で、誰もそれには反対できないと思われたので、この問いを主人公のChrstianとその仲間、Hopeful(有望者)に問いかけた。主人公のChrstianは、次のように答えた。

Chrstian
宗教については赤ん坊のように幼稚な者でも、こんな問題なら1万でも答えることができましょう。
もし、パンのためにキリストに従うことが良くないとすれば(実際そのとおりですがヨハネ第6章)この世をもうけて享楽するためにキリストと宗教をだしに使うことは、なおさら言語道断のことではありませんか。このような意見を持つ者は、異教徒や偽善者や悪魔や魔女のひかには見当たらないのです。

1.異教徒と言ったのは、ハモルとシケムがヤコブの娘と家畜とに気があって、割礼を受けるより他には、それに至る道はないと見たとき、彼らはその仲間に言ったものです。「もし、我々のうち男子が皆彼らのように割礼を受けるならば、彼らの家畜も財産もすべての獣も我々の物となるではないか」と。その娘と家畜とは彼らが手に入れようと欲した者であり、宗教はそれに近づくために利用した「隠れ馬」でした。
その話をすっかりお読みなさい。(創世記34:20-23)

2.偽善的なパリサイ人もこの宗教を持っていました。長い祈祷は彼らの見せかけで、やもめの家に入り込むことがその目的でした。神から来る「もっと厳しい裁き」こそ彼らの受ける罰です(ルカ20:46-47)。

3.悪魔ユダもこの宗教を持っていました。
彼は財布の為に信心深かったのですが、それはその中にある物を手に入れるためでした。しかし彼は滅び、見捨てられました。まさに滅びの子です。

4.魔法使いシモンもこの宗教を持っていました。
彼は聖霊を得ようとしましたが、それで金儲けをするためでした。ペテロの口から下された宣告は適切でした(使途8:19-22)。

5.私の念頭を去らないことは、この世の為に宗教を取り上げるような者は、この世の為に宗教を捨てるということです。確かにユダは信心深くなった時、この世を捨てました。が、それと同じく確かに彼はこの世のために宗教と主とを売ったのです。

それ故に、その問題に肯定の答えを与えること、また、そのような答えを拠り所あるものとして承認することは、異教的であり、偽善的で、また悪魔的です。そして君たちの報いはその行い次第です。



以上


あなたは(私は)どれ程、Mr. By-Ends(私心者),Mr. HOLD-THE-WORLD(現世執着氏), Mr. MONEY-LOVE(愛銭氏), Mr. SAVE-ALL(物惜氏)なのだろう。
自分に都合が良くよさそうに見えるものを見つけては、それを言い訳にしてこの世と妥協を続ける限り、異教的であり、偽善的で、悪魔的なのだ。

主イエス・キリストが憐れんでくださいますように!