天路歴程①~急に堕落して後戻りする理由~ | イエス・キリストの御名を賛美します

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ジョン・バニヤン(1628-1688)
イギリスに生まれたバプテストの方でした。
この「天路歴程」は、1678年にイギリスで執筆されました。

この天路歴程から抜粋して紹介します。
熱心に歩いていた人が、急に堕落して後戻りをする理由について書かれていました。

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①このような人々は、良心は目覚めたのですが、心は変わっていないのです。
だから罪を感じる力が衰えると、彼らを刺激して宗教的にさせていたものがとまってしまいます。
そのため自然と元の生活に戻るのです。
それはちょうど食べた物で胸がむかむかする犬は、そのむかつきのある間は、すっかり吐き出してしまいますが、それは自由な心でするのではなく、胃の腑が苦しいからなのです。
ところが胃の腑が楽になると、もともと吐いた物から欲が全く遠ざかっているのわけではないので、あと戻りしてすっかりなめてしまいます。そこで「犬は自分の吐いた物に帰る(IIペテロ2:22)」と書いてあるのは本当です。
こうして地獄の責め苦の念と恐怖だけで天国に熱心なものだから、地獄の念と劫罰(「ごうばつ」膨大な長い時間にわたり受ける罰。永劫にわたる罰・責め苦)の恐怖がさめて冷えると同様、天国と救いとに対する願望も、また冷えるのです。
そこで次のようなことが起こります。すなわち、彼らの罪悪感と恐怖が去ると、天国と幸福に対する願望が無くなって、再び元の生活に帰っていくのです。

②今ひとつの理由は、彼らは奴隷根性の恐れを持っていて、それが彼らを支配していると言う事です。
それはつまり人に対して持っている恐れのことです。「人を恐れると、罠に陥る(進言29:25)」です。
そこで、地獄の火焔が耳に響いている間は天国に熱心であるように見えますが、その恐怖が少なくなると、彼らは考え出します。すなわち、(何かわけの分からぬ物の為に)すべてを失ったり、あるいは少なくとも避けられぬ不必要な面倒に陥る危険を冒さないで、履行に立ち回るが良いと考えて、再び世俗の人々と調子を合わせるのです。

③宗教に伴う恥辱もまた躓きの石として彼らの道を阻みます。
彼らは高慢で不遜であり、彼らの目からすると、宗教は低級で軽蔑すべきものです。
だから、彼らが地獄と来たらんとする怒りとの観念を失ってしまうと、再び元の生活に戻るのです。

④罪を自覚することや恐ろしいことを考えることは彼らには苦痛なのです。
彼らは不幸な状態に陥らぬ前にそれを見ることを好みません。
もっとも、おそらく不幸を最初に見たら、義人が逃れて安全であるところへ彼らも逃れるかもしれません。
しかし、彼らは罪悪と恐怖を考えることを避ける為、ひとたび神の恐ろしいことや怒りについての覚醒がなくなると、彼らは喜んで心を頑なにします。

次回は、このような人がどのような行動を取るのかを紹介します。