NO. 32増し加えられた信仰の必要⑤ | イエス・キリストの御名を賛美します

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唯一の救い主である、イエス・キリストの愛を知ってほしい。
聖書の奥義を知ってほしい。
そして、選択して欲しい。

こんにちは、兄弟姉妹の皆さん

昨日の続き、テーマは「信仰」の第5弾です。

ここで、1回目からおさらいします。
第1弾では、自分の信仰を試しなさい。何故なら、もし信仰が間違っていれば、すべてが間違っているからである。でした。
第2弾では、あなたの恵みは信仰にかかっているから。でした。
第3弾では、信仰は如何に神に評価されるか。でした。
第4弾では、信仰は祝福を得られる唯一の道だ。でした。

今日は続きです。


記事の元は、以下のリンクを辿ってください。
http://homepage2.nifty.com/grapes/SpurgeonS0032.htm


NO. 32増し加えられた信仰の必要⑤


1855年7月1日、安息日朝の説教
説教者:C・H・スポルジョン師
於ニューパーク街会堂


「使徒たちは主に言った。『私たちの信仰を増してください。』」(ルカ17:5)

5.次に、愛する方々。あなたの敵たちのゆえにあなたの信仰に不断に注意を払うがいい。

なぜなら、たとい友人たちとともにいるときには信仰を必要としなくとも、あなたの敵に相対するときには、それを必要とすることになるからである。
あの勇敢な老戦士パウロは、かつてエペソ人たちを武器庫の中に導き入れ、彼らが身につけるべき履き物や、帯や、胸当てや、かぶとや、剣を彼らに示した後で、こう厳粛に云っている。

「これらすべてのものの上に、信仰の大盾を取りなさい」[エペ6:16]。

万が一かぶとを忘れるようなことがあっても、大盾だけは手に取るようにするがいい。
たといあなたからかぶとが跳ね飛ばされても、大盾があれば打撃を避けることができ、頭部を守れるからである。
あなたは、「平和の靴や正義の胸当て」を身につけるべきだが、何か1つを省くとしても、「信仰の大盾」だけは手に取っているように注意するがいい。
「それによって、悪い者が放つ火矢を、みな消すことができます」。

よろしい。さて、信仰は、人が敵を向こうに回しているとき、その人を非常に強める

もしある人が自分は正しいと信ずるならば、それが天性のものの見方によるとしても、真理のために君主や王たちの前に連れ出されるとき、いかにその人が獅子奮迅の働きをすることか!

その人は云うであろう。
「私は屈することができない。屈することはありえない。真実が私の味方をしているのだから」。

左様、たとい他の人々がそれを度し難い頑固さだと呼ぼうと、人をして、「私は屈さない」、と宣言させるのは魂の真の気高さである。

それよりさらに強いのが、真に霊的な信仰である。
それは殉教者を火刑柱へと赴かせ、炎に包まれたときも、その人に歌わせることができた。
また、それは別の人を海へと赴かせた。
そして、私たちが古い殉教者列伝で読む人物のように、それは年老いた老婦人すら助けて、「キリスト様こそすべてです」、と叫ばせた。

信仰は火の勢いを消し、獅子の口を閉ざし、弱い者なのに私たちを強くしてきた[ヘブ11:33-34]
それは、世の征服者たちの全軍勢よりも多くの敵を打ち負かしてきた。
私は、ウェリントンのおさめた数々の勝利など聞きたくない。
ナポレオンの数々の戦いなど語らぬがいい。

信仰が何を成し遂げたかを告げるがいい!
おゝ!もし私たちが信仰の誉れのために記念碑を立てるとしたら、その巨大な台座にはいかに種々の名前を刻むべきだろうか?

私たちは、ここに「獅子の穴」を刻み、あそこに「豹の戦い」を刻むべきである。
あるいは、ここに、信仰がいかに紅海を2つに分けたかを記録し、そこに、いかに信仰がミデヤン人を打ったか、また、そこには、いかに信仰によってヤエルがシセラを殺したかを記すべきである。
いかなる信仰の争闘を私たちは彫刻しなくてはならないだろうか?

おゝ、信仰よ!
お前の旗は高く翻っている!
お前の紋章入りの盾ほど輝かしいものはない!
お前は偉大であり、勝利に満ちている!
おゝ、信仰よ。
お前によって私はこの世に挑戦し、勝利を確実におさめる。

小さな子どもを私と戦わせてみるがいい。
だが信仰がなければ、小さな女中の前のあわれなペテロと同じく、私は震えて、自分の《主人》を否定するであろう。

しかし、同じペテロは、信仰を備えていたとき、渋面をした議会の前で恐れることなく立っている。
スコットランド女王メアリーは、「ジョン・ノックスの祈りと信仰の方が、一万人の軍隊よりも恐ろしい」、と云った。
そして、分別のある敵であれば、それほど無敵のものが自分と戦っている場合、震えて当然であろう。

私は、信仰の人が私に立ち向かって戦うことだけは御免こうむる。
この世が私を憎んでいると告げるがいい。
私はそれを喜ぶであろう。
だが、信仰の人が私を押しつぶそうと決心したと告げるがいい。
そのとき私は震えざるをえない。

というのも、その人の腕には権威があるからである。
その人の打撃にはすさまじい力がこもっている。
そして、その人が強打するときには、鉄の杖をもってするように、深手を負わせる。

震えるがいい。
あなたがた、神の敵たち。
信仰は勝利せざるをえないからである。

そして、おゝ、あなたがた、生ける神のしもべたち。
あなたの信仰をよく守るがいい。
というのも、これによって、あなたがたは勝利を得るからである。
また、岩のように立ち、嵐の最中でも動かされず、迫害の暴風によっても揺るがされないからである。

(ペリカン雑感)
わたしの勝手な思いを書いて読み手の受け取り方を束縛したくないので、ペリカン雑感はやめます。

主の御名を賛美します。