西郷どんと赤穂浪士と丸亀と・・・・
西郷どんと赤穂浪士と丸亀と・・・と言われても丸亀出身者でも何のこっちゃと思うかもしれません。
江戸時代、丸亀城の大手門を北に一直線に行くと広大な土地に広いお屋敷「見附屋」というのが
ありました。ここは高嶋家といって、北方から城内に入るにはすべてここを通らなければならなくて
「見附屋」という屋号で藩主のために務めたということ・・・・
広大な土地の中には当時日本一の膨大な数の蘇鉄が植えられており、その数450株・・
庭園の美しさも素晴らしく伊能忠敬も宿泊したり、明治元年には高松藩征伐のときには土佐軍の本陣となったそう・・・
また明治5年に、明治天皇が丸亀に行幸した際に、西郷どん以下9名が宿泊したりしました。
その後は丸亀警察署になり、多くの蘇鉄は丸亀各所に分散されてとか・・・・・
その地に現在ある建物にも蘇鉄が・・・そして建物横の立て札には「見附屋」の説明も・・・・
我が家に残っていた明治天皇の丸亀行幸を記した書には高嶋家に宿泊した要人の名前が、西郷どんを筆頭に明記されています。
高嶋家の歴史を遡ると、高嶋家初代の勘右衛門の娘が岡山山口家に嫁ぎ、生んだ子供のうち、藤左衛門は
赤穂の早水家に養子として入り、元禄12年に早水家当主となります。
早水藤左衛門は「忠臣蔵」ファンの方ならご存知のように、浅野内匠頭長矩が松の廊下で吉良上野介に刃傷に及んだ
第一報を早駕籠で赤穂の大石内蔵助に伝えた一人
赤穂・大石神社にある石像
赤穂駅前にある井戸、早かこで赤穂についた早水が喉を潤したという
早水は討ち入り後内蔵助らと共に細川家預りとなり切腹。義士ら切腹から25年後、内蔵助未亡人のりくさんは妹の
嫁ぎ先である丸亀を訪れ、約一週間滞在し、その間に高嶋家に残る早水藤左衛門の位牌に手を合わされたのでは
ないかな・・・・(以上は直井武久著の丸亀の歴史散歩から参照)
いかがですか、西郷どん、赤穂浪士と関係のあった丸亀の歴史・・・うどん、骨付鳥だけじゃあないぞってことです。
余談ですが、この高嶋家からすぐ近くのところにある病院の駐車場の片隅に碑が残っています。
明治維新に活躍した勤王家 村岡母子の碑
この碑の斜め前に昔あった村岡薬局は僕の同級生の実家でした。
彼はこの勤王の志士の血を引いていたとは・・・・今思えばこの頃の歴史をなぜ学校では教えなかったのか・・・・
激動の明治維新前後の郷土の歴史を、進学のための授業以上に大切にしてほしいと思った今回の休暇でした。






