母が他界した後 弟に渡されたものがある

 

「これ、預かっといてくれぇ。」

 

古い2冊の日記帳

 

「読んでもええん?」

 

「うん、ええよ。」

 

そこには

 

父の数々の悪行と母の涙が綴られていた・・・

 

 

 

私が夫の母と過ごしたのは わずか3年

 

でも前に書いたように

 

病院や施設に会いに行き

 

コロナ禍では毎日トータル5~6時間の長電話で

 

とても濃い時間を持つことができた

 

その中で聞かされた衝撃の話が数々ある

 

 

父の父親は戦病死しているので

 

母一人子一人 親戚の家に身を寄せ

 

辛い生活の中で育ったらしい

 

それならもっと人の気持ちがわかりそうなもんだけど…

 

 

ここからは母から聞いた話

 

 

姑(夫の祖母)と同居の3人暮らしで始まった結婚生活

 

初めての妊娠で姑から堕胎するよう強要されたと言うのだ

 

夫に向かって「あんたにはお兄さんやお姉さんがおったんよ」

 

お兄さんやお姉さんって…え?…複数??

 

夫によると だいぶ前にその話は聞かされていたらしい

 

 

私の感覚からするとなんで!?って言葉しか出てこない


 

 

それから次に

 

父が母の姉と浮気をしていたと言うのだ

 

しかもそれは夫が幼い頃で弟がまだ生まれる前

 

姑が手引きをしていたと…ガーン

 

 

堕胎のことは母と出会ってだいぶ経ってから聞いたけど

 

このことは出会ってわりとすぐだったので

 

(認知症のせいなのかな?)と思ってしまった私

 

すると夫は「高校生のとき初めて聞いた。」

 

 

他にも会社の女子社員とか いろいろあったらしい

 

夫が小学生の頃の記憶によると

 

父が社員旅行に出かけるとき

 

母は必ず高熱を出して具合が悪くなり寝込んでいたのだとか…

 

 

弟から預かった日記には

 

その事実が切なく記されていた

 

もちろん当時の若い字で…

 

 

働き者だった母はとにかく仕事が大好きで

 

「普通の男の人以上に稼ぎよったんよ。」

 

と自慢げに話していた

 

 

お母さん「じゃったらなんで、おとうさんと離婚せんかったん?」

 

おばあちゃん「結婚するとき周りのみんなに反対されたんじゃけど

  私の兄だけが許してくれたんよ。その兄との約束で

  『どがあなことがあっても添い遂げにゃあいけん』

  いうことじゃったけぇ、それを守ってきたんよ。」

 

お母さん「でも、その結果、息子二人はこんな歳になってまで

  おとうさんのせいでとんでもない苦労をしようるがぁ。」

 

おばあちゃん「そうなんよねぇ、あんとき別れときゃあえかったゆうんは

  何回もあったんじゃけどなぁ…。おかあさんはバカじゃったのう。」

 

 

初期の認知症は確かにあったので

 

「おとうさんはバツブルーバツブルーさんと浮気をしようるけぇ

 私が邪魔になってここ(施設)へ入れたんよ。」

 

施設へ入ってしばらくした頃 突然そう言い始め

 

しつこいくらいに何度も何度も

 

施設の職員さんや入所者さん

 

私たち家族が面会に行ったとき

 

やたらとそのことを繰り返し話し

 

時には号泣して具合が悪くなったこともあった

 

 

そのバツブルーバツブルーさんは家族ぐるみで付き合いのあった人だそうだけど

 

夫「その人とはないと思う。他にはいっぱいおるけどのう。」

 

 

それにしても母のその状態を見ると辛過ぎて

 

父はこれまでどんな仕打ちをしてきたんだろうと

 

夫と一緒に私まで怒りに震えるようになった

 

 

そして 母亡き後で手にしたその日記により

 

それが更に膨れ上がったムキー爆弾ハッ

 

 

「私の子宮はボロボロ」とか

 

「姉とのこと」とか

 

ここではそこまでしか書けないが

 

母の多くの苦しみと悲しみと怒りに

 

涙が止まらなかった

 

 

とにかくこれは動かぬ証拠だ

 

 

もうどうすることもできないけれど…

 

いつか娘が聴く耳を持ってくれたとき

 

この日記を読ませたいと思う

 

 

つ づ く