ジジイと弟は完全に捨てると決め、残る心配は娘の事だけだ
一度は「ジジイが倒れた場合や死んだ時、意地を張ってこっちへ相談する事もなく自分で抱え、抱え切れずに自殺するなら娘はそれまでだ。」と発言し、妻を泣かせた事がある
今でもそうなった時はやむを得ないと思う反面、我が子には違いないので困った時は手を差し伸べてやりたい気持ちもある
娘に初めて妻を会わせたのは、娘が二十歳位の頃だったと思う
弟と両親には先に会わせていたのだが、反抗期がずっと続いているような気難しい娘を会わせる事に躊躇いがあった
しかしその後は三人で食事をしたり、母を加えて普通に会話をする場面や、妻が気を使って私と娘だけで出かけさせてくれたりする日もあり、関係が悪い訳ではなかった
妻は正直にものを言う質なので、母へ娘と仲良くなりたいと話すと、母は「私が仲良くさせてあげるからね。」と答えていたと言う
同じ事をジジイに言うと「まあ薄紙を剝がすようにゆっくりとな。」と、格好を付けた様で意味の分からない事を言ったそうだ
母は妻に「あの子はじいちゃんから離さなきゃダメなのよ。」と繰り返し話していた
ジジイに騙されて高齢者施設に入れられた事を恨み「私がここから出て、おとうさんをここへ入れる。」とか「離婚する。」とか言い始めた
そして私に「うち(実家)へ帰って来て。リフォームして私と次男と孫娘が一階に住むから、あなた達は二階に住めばいいじゃない。」と、度々言うようになった
私はとにかくジジイの顔は見たくもないし、こうして近所に住んでいる事すら嫌なので「ジジイがいなくなったらな。」と答えていた
母は妻に「お昼は一緒に食べようね。」とか「孫娘に料理を教えるから一緒にやってね。」とも話し、妻と孫娘との時間を楽しむ母なりの未来予想図が出来上がっていた様だ
娘が妻と過ごす時間が増えれば、今後は妻が上手くやってくれる、そう思っていたらコロナ禍だ
母とは面会禁止、私と娘はそれぞれの職場から”同居の家族以外との接触は控えるように”との通達を受ける
そして、母の具合が急変し施設から病院へ搬送され他界
コロナ禍なので家族葬にし、通夜も葬儀当日も私と妻、娘、弟、ジジイの五人で食事をした
娘の態度が急変したのはその直後だった
妻とはまだ直接連絡を取り合う程心を開いてはいなかった娘
その頃から急に私とも連絡を取るのを嫌がるようになったのだ
これは明らかにジジイが何か吹き込んでいる、そう思った
それでも時々は会いに行ったり電話をしたりしながら、娘と話す時間を作るよう心掛けていた
しかし、娘は癇癪を起こし、言いたい事を早口で長時間喋り続けるので、さすがに私も付き合い切れなくなっていった
妻はそれでも止めてはダメだと言うので、時には妻に無理矢理電話をかけさせられたりする事もあった
妻は何も言わず横に居て、私に対して実母の事や仕事の事等様々な怒りや憤りをぶつける娘の声にずっと耳を傾けていた
今回の事で、いやそれ以前にも、娘には私達と一緒に暮らそうと何度も話した
料理をせず買って食べるばかりなせいか二十歳過ぎからすでに高血圧があり、変な太り方もしている
それを心配した妻は娘の食事の管理をしてくれると言う
しかしそんな思いは届かず、ジジイから離れようとしない
そのうち実家で暮らしているのも辛いし行き場がないと叫び始めた娘に、そこを出て一人で暮らせとも話した
すると「私を追い出す気?」と怒りまくる
追い出すも何も、そこはジジイとばあちゃんと娘にとっては叔父に当たる弟の家だ
本来ならアパートを借りて自立した生活を送るか、それが無理なら住むのは私の家だ
だが何を言っても聞かなかった
ジジイの手の中で育ち、学校だけでなく職場までジジイが毎日送り迎えをし、買い物もジジイと一緒、友達と会う時もジジイがくっついて行くという異常な関係は最近まで続いていた
今はようやく自分で運転して一人で出勤するようになり、友達と会う時も一人で出かけるようになったのだが、それはまだわずか1年位の事である
ゴミ屋敷にし、自分の事もまだろくに出来ない娘だ
自立に向けて一度は辛い目に遭った方が良いと考えている
辛い目と言っても誰もが皆普通にやっている事であり、それが出来ていないから娘には辛く感じるという意味だ
社会福祉協議会の自立支援担当の人も気にかけてもらってはいるが、今はまだ娘に直接会って話を聞いたり様子を見てもらうという段階にすら至っていない
ジジイが早くいなくなってくれれば良いのだが、こればかりはどうなるのかわからない
そもそも、母が先に死ぬとは想像していなかった
その位、母は元気で、ジジイの方が弱っていたのに、それでもまだくたばりそうにないのが癪に障る
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次回は社協での二回目の面談について書きます