(時節柄、生地のカバー画像を縁起の良いものに変更しました)
自分ができるということと、人に教えるということは全く別物で、もちろんある程度自分ができなければ人にも教えるということはできないので、自分が出来ることと教えられることに相関性はありますが、できるからと言ってうまく教えることができるわけではありません。
自分ができるところに加えて、さらに人に教えるということは、それより難しいことだと思っています。 相手のわからないところを的確に把握して、相手が理解できるように言語化して伝えるということを、繰り返しできなければなりません。しかも、一方的に講義するのではなく、キャッチボールのように反復して、最終的には相手が自分の力できるようにしなければならないのです。
教育のプロでもない親が自分の子どもに教えられるかというと、当然難しいわけですが、私自身は教育学部の出身で、教職の経験はないものの、ある塾の先生からはその辺の塾の先生より教えるのが上手と言われたこともあります。 息子の勉強を小学生のときから見てきて、関わり方は変えてきたものの、息子の場合は関係性において高校生になって限界となりました。
私は親が子に教えるということについては、可能であれば肯定派です。ただし教育虐待的なものは論外としてです。なので、教えられるならば高校生になってもやりたかったのですが、結局のところ実際やってみて限界を感じて塾にお願いすることになりました。
私が子どもの勉強をみるにあたって大前提として一番気を遣ってきたことは、勉強嫌いならないようにということでした。高校の勉強となるとここで気を遣うと問題が出てきました。大学を目指す高校の勉強は格段に難しいのです。細かいのです。きちんとできるようにしようとすると、細かく厳しいことを言おうとしなければなりません。 我が子のしていることを厳しく否定して矯正するということは、親がやるには困難があり過ぎます。基本的に、親というものは子どものやることを認めてやる存在であるべきだからです。結局、そこで私は限界を感じてお手上げとなりました。私自身、やってみてわかったことです。
子どもにすれば親への甘えがありますし、親にしても子どもだからという点での妥協があります。他人である学校や塾の先生と親とでは、同じことを言われても聞き方が違ってくるのは当たり前です。実際、私が何度言っても受け入れなかったことでも、塾の先生から言われれば割とすんなりと受け入れるのです。先生との相性ということもあると思いますが、少々厳しいことことは親からではなく他人から言って頂いたほうが受け入れやすいということもあるのだということを知りました。

