おはようございます
いろいろあって
ふと
昔観た映画を思い出しました

ひとり息子であるロレンツォの難病を治すことの出来る医師が居ないと知り、オドーネ夫妻(夫オーギュストと妻ミケーラ)は医学的知識が無いにもかかわらず自力で治療法を探すことを決意。治療法を見つけ出すため、もはや手の尽くしようがないと信じる医師、科学者、支援団体らと衝突する。しかし自らの意志を貫き、医学図書館に通い詰め、動物実験を参照し、世界中の研究者や一流の医学者らに問い合わせ、さらに自ら副腎白質ジストロフィーに関する国際的シンポジウムを組織するに到る。死に物狂いの努力に関わらず、息子の様態は日々悪化する。次第に彼らが参加していた支援団体のコーディネーターからも疑いの念が抱かれるなか、もの)に関する治療法を思いつく。100以上の世界中の会社に問い合わせた結果、適切な方法で蒸留することが出来る定年間近の英国老化学者を探し出す。※Wikipediaより引用
20年以上前に観たので
うろ覚えですが
難病に侵された子供に対する両親の鬼気迫る愛情に
感銘を受けました
両親の開発したオイルで
難病から救われた子供たちの笑顔が
エンドロールにちりばめられていて
両親は報われたのだと思っていました
その後
ロレンツォのオイルは発症後に投与しても
症状は改善されないことが判ります
副腎白質ジストロフィー adrenoleukodysprophy(ALD)は、ロレンツォが発症した1982年当時治療方法がまったくなく、診断されてから多くは2年以内に死亡することが多かった。ALDの病態である脱ミエリン化を起こす極長鎖脂肪酸(VLCFA)を低下させる一種の栄養療法である。映画にあるように血中VLCFA値の低下作用は明らかだったが、治療効果については当時より賛否両論であった。多くの患児の両親が「ロレンツォのオイル」を求めて争って投与したが、実際にはALD症状改善を認めることは少なかった。植物状態で死を待つだけだったロレンツォが「ロレンツォのオイル」によって劇的に改善し、両親との意志疎通さえも可能となる映画のラストが感動的だっただけに、逆に多くの両親の失望は大きかったといえる。1993年(映画公開の翌年)に「ロレンツォのオイルは無効である」という論文[3]が発表されており、さらにEditorialで「医学は映画のように簡単にはいかない」という痛烈な批判がなされたことが決定的だった。映画の中で、両親の性急さをしばしば諌め、ALDの全患児に責任ある医師の立場として「ロレンツォのオイル」の臨床使用を断る、いわば「悪役」としてのニコラウス教授のモデルとなったのは、ALDの世界的な権威であったヒューゴ・モーザーである。しかし実は「ロレンツォのオイル」が無効と言われ、詐欺師やインチキとまで批判されたロレンツォの両親を最後まで支持し擁護していたのがそのモーザー医師だったのである。「オイル」の臨床試験を地道に続け、2005年に「ロレンツォのオイル」はすでに症状が進行した患児には無効だが、血中VLCFA値が高値を示す児の発症予防や症状軽減には有効」という画期的な論文を出した[4]。現在では,スクリーニングによって発症前の患児を見つけ、早期から「ロレンツォのオイル」を投与して発症予防を行うというプログラムが北米では進められている。※Wikipediaより引用
一刻も早く子供を治療したい
親として当たり前の気持ちです
オイルは異例のスピードで開発されますが
臨床医療の研究事実を積み重ねなければならない
研究者としての責任もあったのです
その後 地道な研究の結果
オイルは発症予防効果があると論文が発表されました
そして
発症前の子供のスクリーニングの開発と
研究はさらに続きます
モーザーが簡易スクリーニング法開発に「成功」したのは2006年のことだった。
しかし,自分が開発した方法が臨床的に有効であるかどうか,さらには,
マス・スクリーニングの方法として適切であるかどうかについては,
きちんと科学的な手順を踏んだスタディで確認する必要があった。
ロレンツォの両親が「子供の命を救うためには悠長なことなどしていられない」と
大急ぎでことを進めようとしたときには,その性急さを戒めたモーザーだったが,
やがて,自らが開発したスクリーニング法の有効性をめぐって,
科学的手順を踏むことの「悠長さ」に自分自身がいら立ちを覚えることになるなど,
夢にも思っていなかっただろう。
モーザーの研究グループは,スクリーニング法の有効性を確認するために,
どの検体が患者に由来するものかを知らされないまま測定を続けたのだが,
スタディが大詰めを迎えた時期,モーザーは末期膵臓癌と闘っていたのである。
「死ぬ前に結果が知りたい」と念じ続けたものの,2007年1月,
モーザーは,結果を見ることなく世を去ったのだった。
亡くなる直前,モーザーは,ワシントン・ポスト紙のインタビューに対し,「もし,自分の子どもがALDで医師からコントロールド・スタディの説明を受けたとしたら,『ふざけるんじゃない』と罵っていたろう」と語っている。病気を治したいという思いはいっしょでも,「自分の子どもを救いたい一心」の親と,「現在そして未来の全患者に責任を持つ」研究者とでは,その立場が大きく異なることを厳しく認識していたのである。
ハッピーエンドだと思っていた映画は
それだけじゃない長い長い戦いがあったのだと知りました
新薬の研究が進んでるのでしょうが
一刻も早くと願うのですが
これを知ると
複雑な気持ちになります