セルジューク朝とはどんな国家?世界史における重要性と興亡の歴史
ここには先に亡くなったメヴラーナの父の墓所がありましたが、その近くにメヴラーナの亡骸が埋葬された後、1274年に建築家ベドレッディンによって霊廟が完成しました。
霊廟の入口には、ルーミーの言葉が書かれた碑文とプレートが掲げられています。
“あなたが外から見えると同じようになるか、または内面と同じように見えるようになるか、どちらかになりなさい。”
“わたしのもとへ来なさい。あなたがどのような人でも来るのです。あなたが、無神論者でも偶像崇拝者でも拝火教信者でも構わないから来るのです。あなたが何度も後悔したことに背くようなことをしたとしても、わたしのもとに来るのです。”
内部にはいくつもの棺が並んでいます。最も奥に安置された、一際重厚で精緻な装飾が施された棺が、メヴラーナ・ジェラレッディン・ルーミーのものです。メヴラーナの石棺は、1984年にオスマン帝国のスルタン・アブドゥルハミト2世から寄贈されたシルクコットン製の黒い布で覆った皮製のカバーの上に置かれています。
そのほか、メヴラーナの父や息子であるスルタン・ヴェレド、妻のケッラ、娘のメリケといった家族の墓に加え、教主、教主長やその家族など、メヴラーナの仕事に貢献した人物の石棺が置かれています。背の高い精巧な木製の棺が、メヴラーナの父のものです。
また、メヴラーナの作品の中で最も有名な『メスネヴィ』や『ザ・グレート・ディヴァン』の写本も展示されています。能書家によって描かれたこれらの写本は、芸術的価値の高い傑作です。
私たちと10日間一緒に回ってくれたガイドさん
旅は進んで、カッパドキアの特徴がだんだん現れて来ます。
詳しくはまた次回の記事に載せられたらと思います。
流行りの洞窟ホテルに2泊しました。
洞窟を掘って使ってあるので、一部屋一部屋広さもインテリアも違います。
どうも私たちの部屋は広かったようです。
エクストラベッドのスプリングが悪すぎたので、妹とダブルベッドで2人で寝ました。
寝室にある浴槽とは別の奥の部屋にシャワーがありました。?
地形的に複雑なので、階段の上り下りが多く、レストランに行くのも一苦労でした。
ドアが開きにくいという難点がありましたが、良い部屋でした。
添乗員さんに1回、通りがかりの男性に1回(この時は男性でも開きませんでした。)、ホテルのレセプションから人を呼んで1回開けてもらい、コツを掴んでやっと出入りできましたが、妹は最後まで開けられませんでした。
気球には、ツアーのメンバー19人中10人が、朝日を見るために、翌朝3時45分出発で乗って大層感動したようですが、このグループは私と妹も含めて高所恐怖症の人が9人もいたんですよね。残念です。
借り物の写真を貼り付けておきます。
こんな感じらしいです。
乗って無事降りたら、もっと怖いものなしになっただろうな〜。
❤︎