少し前から皆様のところに訪問できていません。

また後日記事を読ませていただいてコメントさせていただきます。


いろいろ経緯があって、妹とトルコに来ています。


トロイ遺跡に行く前に立ち寄ったチャイ(トルコのチャイは普通の紅茶)のお店で、手焼きのチーズパイみたいなものを試してみました。

あまり自分の写真は載せたくないのですが、今回わりと妹と一緒とか1人で写っている風景が多いので、少しだけ載せさせてくださいね。



トルコ人は甘いもの大好きなので、私もチャイに砂糖を入れて飲んでみました。チーズパイみたいなのはとても美味しかったです。


エーゲ海からの水と黒海からの水が流れ込むチャナッカレ海峡を背景に。

世界一橋脚の間の距離が長いというチャナッカレ海峡大橋を渡りました。



トロイの遺跡です。

予想以上に気温が高くて、この先々では40°にもなるところの炎天下での遺跡巡りとなりましたので、ここはまだ序の口。














このトロイの木馬は、プラピ主演の「トロイ」の撮影の時に制作されたものです。




トルコ西部、エーゲ海を数キロ先に見渡す丘に広がるトロイ遺跡は、ドイツの実業家ハインリッヒ・シュリーマンが1870年から3年を費やして掘り当てた遺跡。古代ギリシアの詩人ホメロスの英雄叙事詩『イリアス』によれば、トロイは王妃ヘレネをめぐり、ギリシアと10年におよぶ戦争(トロイ戦争)となり、「トロイの木馬」の計略により、一夜にして陥落した伝説の都。シュリーマンは、神話上の都市と考えられていたトロイの実在を信じ、私財を投じて発掘に成功しました。

その後の考古学者による発掘で、トロイ遺跡では紀元前3000年ごろに始まる初期青銅器時代(第1市)から、紀元前350~400年頃のローマ時代(第9 市)まで、9層にわたり積み重なる都市の遺構が発見されました。シュリーマンは多くの財宝を発掘し、ギリシア軍に攻め落とされたトロイの王の名から「プリアモスの財宝」と名付けましたが、それらはトロイ戦争より1000年以上も古い時代のものと判明。彼が掘っていたのは、紀元前2600~2300年ごろの第2市だったのです。

トロイ戦争が史実として、その遺構に推定されるのは、紀元前1300~1200年ごろの第7市の層。しかし、考古学の知識がなかったシュリーマンはやみくもに掘ったため、第7層の遺構は大部分がそこなわれ考証が困難になりました。このため、トロイ遺跡が『イリアス』に登場するトロイかどうかは、今も謎のまま。シュリーマンの情熱が実を結び、神話が実話に変わるときはくるのでしょうか。

シュリーマンは有名ですが、彼は趣味で発掘をはじめ、掘り出したものを売り飛ばしたり国外に持ち出したあまりまともな考古学者というタイプの人ではなかったようです。
目ぼしい発掘物はドイツに行かないと見られないらしいです。

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